さりながら

さりながら

さりながら


作者は、ナント大学文学部教授、日本文学についての卓越した批評家、とのことです。
小林一茶夏目漱石、山端庸介――三人の文学者(一人は写真家)の評伝をはさんだ「私」の旅の物語です。


けれども、小林一茶夏目漱石、山端庸介は、文学で結ばれて、ここにいるわけではありません。
彼らを結び付けているのは喪失。とりわけて、子を亡くした親の。
もっとはっきり言えば、彼らは旅人「私」をうつす鏡でした。


人の一生も旅。だけど、なんという旅だろう。
一茶が抱える虚無、漱石の孤独の底知れぬ深さ・・・この本の表紙のそっけないほどの白さが、不意に怖ろしくなるほど。
山端庸介のナガサキの原爆写真。読んでいるうちにいたたまれない思いにとらわれる。
(ほかならぬ日本人である私自身が、原爆について、なんて無知だったことか、無関心だったことか。)
実際、三つの評伝として読んでも、相当魅力的です。
だけど・・・


「私」は、パリ、京都、東京、神戸と旅をしながら、逃げ場所を探す、という言葉も使っている。
だけど、実際には、逃げるどころか、執拗なまでに、喪失と虚無感のなかに深く降りて行こうとしているのではないか。
まるで傷口をえぐるようにも見えてしまうのだけれど。
中途半端な掘り下げではない。
なぜそんなにまでして、と思うほどに、徹底的に、丁寧に、三人の文学者を通して、底しれぬ闇に向かい合う。
救いはどこにも見えなかった。
そうまでして、突き詰めて突き詰めていったとき、
そのはてに、静かに浮かび上がってくるのが「さりながら」という言葉でした。


さりながら。
一茶の句「つゆのよは つゆのよながら さりながら」からとった言葉だそうです。
「日本語「さりながら」はフランス語のcependant「とはいえ」にあたる」と冒頭に書かれています。
けれども、「さりながら」はこのまま、なぞかけのままに終わり、続きの言葉はどこにも書かれていません。
さりながら・・・この言葉のあとにきっと後の世があるはずなのだけれど。


「私」の旅は、最後に、阪神淡路大震災の神戸に辿り着きます。
ほとんど意識しないでも、ここに2011年3月11日が重なってきます。
「さりながら」という言葉の先には、ほんのかすかでもいい、明るい何かがあってほしい。