猫の王国

猫の王国 (大人の本棚 ) (大人の本棚 )

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勝気でドライで、突っ張ったおばさまだ。
悪口を言っているつもりはありません。
この人の文章は率直、さっぱりとしていて、嫌らしくない。
時に苦笑するようなこともあるし、「そんなこと書いていいの?」とどきっとしたりもするのは、
多分に、わたしがこの人と正反対(ウェットで、煮え切らない)だからだろう。
それでもこの人の文章を好ましいと思うのは、
思いがけないところで、細やかな気配りや、情の柔らかさに出くわしたりするから。
突っ張っているのに、突っ張りきれていない感じが、ふと可愛いと感じてしまうのだ。


友だちについて書かれている部分、

>持つべきものは友だち、それも役に立つ友だちである。何でも話せる友だち、一緒に泣いてくれる友だちというものを私は信じない。自分の問題を自分で処理できず、自分の涙は自分で呑みこむことができない人間が、どうして友だちを持つことができるだろうか。
とても厳しいけれども、毅然としてかっこいい。
著者は実際、こうやって颯爽と生きてきたのだろうし、同じ価値観の友もいる。
だけど、他人に対しては、ここまで厳しくできないのだな、と思うところがちらほらして、思わず微笑んでしまう。
たとえば、最後の章「シーギー」で、
ドイツ人の友人を懐かしむ文章・・・対等の付き合いができない彼女をなぜにこれほど気にする。
(そして、この章がわたしは一番好き)


また、猫たちについて、

>人間は人間、猫は猫。身勝手な感情移入はいらない。
と、きっぱりと書かれる。かと思うと、ほらもうそのそばから、
>その後に起こったことも、結局人間的な解釈をするほかない。
との前振りのもと、同居猫のある行動にデリケートな(人間的)感性を見て、心動かされ、
自分のそういう気持ちに気付いて、狼狽したりしている。


動物でも人でも・・・生きて血の通う者たちと面と向かって付き合おうとするとき、
思いがけず、自分の隠されていた面(意識して隠していたのかも)に出会って驚くこともある。
相手の中に自分をみているのかもしれない。
もしかしたら、それを確認するために、人や動物と出会ったり別れたりしているのかもしれない。
そんなことを思った。