ティンカーズ

ティンカーズ (エクス・リブリス)

ティンカーズ (エクス・リブリス)


>死ぬ八日まえから、ジョージ・ワシントン・クロスビーは幻覚を起こすようになった。
という一文から、物語は始まる。(そうして、ジョージはゆっくりと死にむかって進んでいく。)
死の床についたジョージの幻覚は、過去の自分の幻に出会い、父ハワードの記憶と混ざり合う。
父ハワードの記憶には、さらに、その父(ジョージの祖父)の思い出や子ども時代の記憶が混ざってくる。


ことに森の行商人(鋳掛屋)である父ハワードが、愛馬プリンス・エドワードとともに日常の品々を売り歩く森の道、
描写が美しくて、その湿り気が、匂いが、リアルに感じられる。
どんな事態であったとしても、まず、この空気感に酔わずにはいられない。
その途上に書かれた詩(だろうか)のような書きつけの文章なども美しくて、
以前読んだ大好きな『ハサウェイ・ジョウンズの恋』を思い出しました。
ハワードが、年食ったハサウェイに重なり、懐かしいような親近感を感じていました。


自然の懐深さ、不思議さにひたひたと浸りながら、人もまたその自然の一部、不思議の一部なんだな、と思えてくる。
ことに好きな場面は少年が湖に流す小さな葉でつくった棺の舟。湖の上の火葬・・・
これはいったいどんな意味があるのか、近寄りがたい、神秘的な儀式でもあり、いたずらでもあり
見てはいけないものを見たような怖ろしさもあるのだけれど、
ひきよせられずにいられない不思議な魔力を持った一瞬。忘れられない美しさだった。


訳者あとがきによれば、

>本書のタイトルである『ティンカー』は、修理したりいじくり回したりすること、またそれをする人や行商人を意味する。ハワードは森のティンカーだったし、その息子ジョージも時計修理というティンカーの仕事をしていた。そして作者もまた言葉のティンカーである
そうか・・・それなら、ハワードの父もまた、言葉のティンカーだったのかもしれない。
三代のティンカーたち。
それぞれが、異なった方法ながら、いじくり回しながら迷い、迷いながらいじくり、そうやって生きている。死んでいく。
死んでいく物語なのだけれど、哀れとは思わない。悲しいこともない。
ただ、満足がある。


ここに至るまでに、出会ったあれこれの風景。大きな出来事であったり、一瞬垣間見えたものであったり、
だれにも言わずに心の中にしまっていたことであったり・・・
自分にだけ意味のあるあれこれの細切れを、いじくりまわし、修理しながら、
時に奇妙な、一筋縄ではいかない人生が、一編の美しい詩になっていく。