春の数えかた

春の数えかた (新潮文庫)

春の数えかた (新潮文庫)


ごく平凡に暮らしている門外漢の私でもすいすい読める易しい自然科学エッセイ(?)です。
いえ、易しいと一言で片づけるのは申し訳ないです。
椎名誠さんが解説でこの本のことを「かしこい美人」の本と言われている。
ぴったり!
そして、この「美人」はつんと澄ました美人ではなくて、親しみやすい愛きょうのある美人なのだ。
この本を読んでいると、世の中は、なんとたくさんの不思議に満ちていることか、と感嘆する。
たくさんの不思議を踏みにじりながら暮らす鈍感なわたしでさえ。


著者は、人間以外の生きものと「共生」する「人里」をつくるのを目指しているといいます。
「共生」は、「調和」ではない、との言葉に、はっとします。
(なんとなくマイルドな響きの「調和」に惹かれてしまうのだけれど)
自然と人間が競争しあって、破壊したり巻き返したりのせめぎあいを「共生」というのだそうです。
生きものみんなが「利己的」に生きている自然界で、
「『共生』とは利己と利己とのせめぎ合いの上にはじめてなり立つものではないか」
と言われます。
かなり熾烈に、互角に渡り合って、初めて成り立つ「共生」に、甘い夢を破られた気がします。


そうして、「自然に優しい」という言葉はほんとに意味のない言葉だということがわかってくる。
(競争と闘いの場である自然のなかで、どれかに優しくすることは、他のものに冷たくするってこと)
そんな意味のない「自然に優しい」が、なんとなく心地よく感じるっていうのもおかしな話ですよね。


でも、今、どうあっても共生できないものを人間は作ってしまった、と思う。作ってばらまいてしまった。
共生が崩れたら、自然も人も滅びるだろうか。
それとも自然は巻き返してくるだろうか。これに匹敵する(以上の)大きな力で。
そしたら、せめぎあいではなくて、戦争になってしまう。
せめぎあいの共生のためには、決して侵してはいけない不文律のルールがあるはずですね。
(たとえば、過剰防衛・攻撃はだめ、とか・・・)


ああ、カエルが鳴いてる。ドバトが鳴いてる。
初夏。花を作れば、雑草も伸びる。雑草とのせめぎあい、始まっています。