皺 (ShoPro Books)

皺 (ShoPro Books)


昔は銀行の支店長だったというエミリオを中心に、ある老人介護施設に暮らす人々の群像が描かれています。
ひとりひとりの老人たちの姿やその心、そして、彼らがどういう人生を歩んできて今ここにいるのか、
いちいち説明しなくても、鮮明に見えてきます。
どの人のなかにも、自分に似通ったところがみえて引き込まれずにいられません。
いろいろな人に、ことにエミリオに、いつのまにか自分を重ねていました。


だんだんにいろいろなことを忘れ、いろいろなことに混乱し、いろいろなことがわからなくなり、できないことが増えて、
やがて、虚ろになってしまう・・・
読むのが怖かった。悲しかった。
いつかは来るかもしれない未来、なるべく考えたくなかった未来を突きつけられたような気がして。
だけど、その姿の何がどうして怖いんだろう・・・悲しいんだろう・・・
そして、怖い、悲しい、と思いながら、それよりも強く温かな思いが湧き起ってくるのはなぜなんだろう。
全然、先行きが明るい話なんかじゃない。
だけど、やっぱり不思議に明るい気持ちで読み終える。おだやかに自分の先行きを思う。


自分のこれからの生き方、人との関わり方などもつくづくと考えてしまった。


そうして、怖ろしいのは、
自分の身の回りのことが自分でできなくなることでもなく、自分が何者なのかわからなくなってしまうことでもないんだ、と思い始めた。
それよりも、だれとも繋がりあえなくなることが怖かったのだ、と思った。
この施設では(ことに重度の人たちが住む二階では)ばらばらの人たちが、ばらばらなままに、ただ生きている。
誰とも、何とも繋がらず、自分が自分自身にすら繋がれていないんじゃないか・・・
その、まったくの孤独・閉塞(孤独であることさえわからない孤独・閉塞)が怖かった。
孤独な囚われ人が、孤独なまま寄り集まっている情景が空寒かった。


歳をとって忘れていくということは、それまで築いてきた世界との繋がりから、ひとつずつ切り離されていくことのように思えた。
からっぽになってしまうまで。
そう思うと、自分を待ち受ける未来は怖ろしい。
あの空白が、もしかしたらわたしにもくるのかもしれない。


だけど、空白に目をこらせば、消え去った光が、いろいろな色や形が、見えてくるような気がする。
真っ白のむこうから、たしかにだれかが、自分を大切に思ってくれる人が、声をかけている。
彼は「世界」から切り離されてそこにいる。でも、もしかしたら、「世界」のほうでは、彼を忘れていないんじゃないかな。
(わたしは、あそこにいた夫婦の間の「インチキね」が好きなのだ。)
本人にはもう、それを感じられないけれど・・・そういうことはどうでもいいのかもしれない。
忘れてしまっても、消えてしまっても、だれかが、どこかで、いや、人じゃなくてもいいかな、でも何か意志のある空気みたいなもの・・・
そういうものが、ちゃんと覚えている、というか・・・
時間も何もかも越えて、一度あったものは、ちゃんとどこかで大切にその存在を守られている、というか・・・
なあんだ、なくなっちゃったと思ったもの、ここにちゃんとあったよ。
そういう感じ。
この気持ち、上手に言葉にできないけれど、一緒に収録されていた作品『灯台』の主人公が一番最後に見つけたものに、よく似ている。



わたしも認知症の家族とともに暮らしている。
ときには「なぜこんなになっちゃったんだろう」と情けなく思うこともあるけれど、
そして、いつも穏やかに共にいられるわけじゃないけれど、
でもね、
彼女が元気だったときのことをわたしは知っている。
彼女が愛したものも、彼女が喪ったものも、知っている。
彼女を包むこの家も庭も、この空気も、彼女がここで暮らしたすべてを知っている。
この「知っている」ことを大切にしたい。
だから、わたしも、
たとえ、どんどん忘れてしまったとしても、「知っている」を大切に積み重ねるようにして暮らしていけたらいいな、と思う。