ふるさと60年

ふるさと60年 (日本傑作絵本シリーズ)

ふるさと60年 (日本傑作絵本シリーズ)


おじいちゃんとおばあちゃんが孫たちに自分たちの生い立ちを、生まれ育った町の移り変わりの姿とともに語って聞かせています。
この家族の会話を間に挟みながらの、
1946年から始まって、5年置きの、同じ町の同じ位置の見開きいっぱいの俯瞰図です。
描かれているのが同じ場所なので、ページを繰るたびに、どこがどう違ったか、過去のページと見比べています。
以前あったのに、なくなっちゃったもの。
あることはあるけど、姿が変わってしまったもの。
新しくできたもの。
まるで宝探しみたい。
おじいちゃんとおばあちゃんが、若い時の姿になって、町の中、人々の間にさりげなく(?)描きこまれているので、
それをみつけるのも楽しかった。

自分の生まれた年から後は、よく知っている思い出の町の風景とも比べたり重ねたりして。
あのころ流行ったいろいろなこと、起こった事件などもなつかしく思いだしました。


5年でこんなにも街の様子も人々の生活も変わるのだなあ。しかも近年に近づけば近づくほどスピードアップしているような感じ。
なかでも、途中から川がなくなって駐車場になっちゃったのにびっくりしました。
と思ったら、あとのほうで復活。地面の下で生きていたんだね。
こうやって、同じ場所の移り変わりを続けて眺めていると、
当時、人々が何を大切にしていたか、どんな未来を思い描いていたか、ということまで、うかがい知ることができるのですね。


そして、やがて、未来の憧れの町に続いていく。
絵本のなかの(ごく近い)未来の町は、わたしが子どものころ思い描いた未来とはずいぶん違っている。
思い描く未来像も、時代とともに変化していくものなのだな。


戦後一年目、1946年のページに何度もさかのぼって眺めていた。
わたしはこの時生まれていない、当然知っているはずのない町なのに、不思議に懐かしいのです。
懐かしくてちょっとせつなくなります。
一度はコンクリートジャングルのようになってしまった町(それがある時には素晴らしい未来でもあった)から、
一転して、今や緑あふれる未来都市への憧れが高まる。
でも、ここに描かれた未来は・・・実は少し不自然な感じ。
あふれるばかりの緑、澄んだ水とともにある暮らし。でも、ここには歴史も生活も感じられない・・・テーマパークのようなのです。
当然これだけが未来の姿じゃない。
どんな未来もあるよ、と絵本は誘いかけます。
生活することは未来に憧れることでもある。
過去が懐かしい、と思っても二度と戻ることはできないけれど、未来は、どんなふうにも思い描ける。
おばあちゃんは言います。「どこに住もうと、ふるさとは心のなかにあって、やすらぎをくれるところだね」
さらに、ふるさとは「育てまもっていく」ものなのだと。
そんなふうに思いながら、希望を持って未来を夢見ていきたいね。


この絵本を読みながら、
↓『母さんの小さかったとき』を思い出していました。
『母さんの小さかったとき』のかあさんの子どものころの思い出が、この本のなかのおばあちゃんの思い出に重なるのです。
ああ、あのかあさんは、おばあちゃんになっちゃったんだなあ。
いつのまにか時は流れていたんです。
それもあたりまえか。
『母さんの小さかったとき』を一緒に楽しんだわが子はもう大人になっているのだもの・・・

母さんの小さかったとき (福音館の科学シリーズ)

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