森の紳士録


著者は月に一度は数日をかけて山歩きをするといいます。
その山歩きの間に出会った生きものたちの「物語」です。
どんな紳士録なんだろう。


動物、鳥、魚、昆虫、植物、茸類・・・ありとあらゆる森の生きもののことを順繰りに語ります。
図鑑のような豆知識も挟まれているけれど、俳句や民話、落語などをひいて、土地の人々の話も盛り、
あるときは距離をおいて、あるときはごく近くから、時には森の生きものを通して人間を顧みたりもして、
生きものたちの姿を描写します。


文章はゆったりとしています。素朴でやわらか。そして、気品を感じている。
著者が生きものたちとの出会いに心躍らせているのが伝わってくる。
紳士同志が、名刺を交換しあい、丁寧に挨拶をかわしているようにも感じます。
親しみを持って語るけれど、狎れなれしくはない。
相手の領域は犯さずの、微妙な距離感がいいな、と思います。
各章にかならず添えられた挿絵も素朴で味わい深いのです・・・と思ったら、著者が自ら描いたものでした。


「きのこ」の章。
言われてみれば、姿も性質もあまりに多様で、本当にきのこって不思議な「生きもの」だ、と思います。
人にとって毒か薬か、と疑えば、あまりに人を食った性質におそれいってしまう。
そうして、きのこを探す人の前への出現の仕方までも、まるで意志をもってそうしているように感じ始めたよ。
きのこ名人と言われるまでに極めたくなる人の気持ちがすこーーしだけわかったような気がする。
(もしや、きのこの不思議さに魅せられるってギャンブルに似ていませんか?)
最後にあらわれたブナシメジの大きな株には、思わず、にこっとしてしまった。


「イノシシ」については、そのナラズモノぶりを描写して、
「これでは、とても森の紳士録の仲間入りをさせるわけにはいかないだろう」と著者は書く。
そう書いたそばから、イノシシの名誉挽回(?)が始まり、
猟の名人の言葉を借りて「やっぱり一番恐ろしいなぁ人間じゃいな」と。
なるほど・・・その人間がイノシシをナラズモノ扱いするのはあんまりだなあ。


一番好きなのは「アキアカネ」の章。
秋田県の山伏岳で、谷底から次々に湧き上がってくるアキアカネの描写があまりにダイナミックで、わあっと思う。群舞! 乱舞! 
一匹のトンボの飛行距離は100キロにも及ぶという話にも圧倒されてしまうけれど、
最後に一人、ぼんやりと座っている著者の肘に止まったトンボの描写に、ぐうんと動いていた空気も時間も今、静止する。
だけど、そのとき、著者の耳を借りて、わたしも遠くに雷鳴を聞くのです。
世界は動いているんだ。
肘にとまったトンボを見ていると時間がとまっているようだけれど、
まわりには、激しく移り変わっていく世界があるのだということを思いだします。
このコントラストが鮮やかに印象に残り、上質な短編小説をひとつ読んだような気がしてきます。