『ピース・ヴィレッジ』 岩瀬成子

ピース・ヴィレッジ

ピース・ヴィレッジ


小六の楓は、小さい時から、ときどき戦争の夢にうなされました。
戦争が起きるかもしれない、と不安になる。
「起きやしないって」とお母さんをはじめとした周りの大人たちは言います。
たいてい起こらないし、起こるかもしれないけど今じゃない。そういうことを心配したって仕方がないじゃない。
と、そういうことかな。
楓が私の子だったら、わたしもそう言ってたかもしれない。
だけど、そうじゃないよね。それはごまかしにすぎない。
見たくないもの、考えたくないものに蓋をしているにすぎない。
だから「起きやしないって」は子どもを決して安心させることはできない。


わたしのなかにも見えない『戦争』がある。
見ないようにしてきた、考えないようにしてきた、そうすれば無いのと同じだと思っていた。
そういう気持ちが、きっと見えない『戦争』をどんどん膨らませ、広げていたのだと思う。
「起きやしないって」という言葉で子どもは安心しない。そして言った本人も、ほんとうは安心なんかしていない。
不安でいっぱいになりながら「起きやしない」って言ったり、見ない・考えないようにしながら、
見えない『戦争』にずっとおびえていた。


楓が住んでいるのは基地のある町。
毎日、自分の頭の上で飛行機の轟音を聞きながら、暮らしている。
その飛行機は、戦争をするために作られた飛行機で、戦争をするために飛び立つ。
この町で、楓の見る戦争の夢はリアルだ、と思う。
それと同時に、思春期の入口の少女の不安を夢が代弁しているようにも思う。
誰かの手を握っていれば安心。誰かのあとを追いかけていれば安心。そうやって楓はここまできた。
でも、小六の彼女は気がつき始めている。
誰かのあとを追いかけ続ける限り、その誰かと決して隣に並ぶことはないんだってこと。


「ひとり」という言葉が、鮮やかに心に残ります。
人は、どこまでいっても一人なのだ、ということ。
寂しさや厳しさとともに、噛みしめます。
自分も、あの人も、だれもが「ひとり」なのだ、と思いいたらなければ、
一人と一人は、本当にはまっすぐに、目をそらさずに、向かい合うことはできないんだ、と思う。


この町は飛行機の轟音ばかり、そしてその音に繋がる戦争のことばかり思い出させる。
けれども、
轟音と轟音の隙間のしんとした静けさのあいだに、耳を澄ませばフクロウの声が聞こえた、という、おばさんの話が印象に残ります。

>こんど、きいてごらん。ゴーッとエンジン音がきこえて、ぱたっとやむ。そのとき戸をあけて、外の音に耳をかたむけてごらん。きっとなにか、きこえる。
最後に、自分で扉をあけて、フクロウの声を聞いている楓の姿が印象的だった。