トーイン 〜クアルンゲの牛捕り〜

トーイン クアルンゲの牛捕り (海外文学セレクション)

トーイン クアルンゲの牛捕り (海外文学セレクション)


『クアルンゲの牛捕り』は、アルスター物語群(ケルト神話のうちウリズ族の偉業をたたえるひとまとまり:著者あとがきによる)のなかで
最も長大かつ重要な物語とのことです。
古代アイルランド語で書かれた原典をキアラン・カーソンの手により現代英語に翻訳したものを、日本語にした重訳がこの本で、
日本語でこの物語全てをまるまる読めるのは、この本が初とのことです。


・・・とはいえ、正直に言えば、キアラン・カーソンの新しい本がこれ、と知ったとき、あまり期待できないのではないか、と危惧していました。
既刊『琥珀捕り』や『シャムロック・ティー』が、あまりに類ないスケールの大きな作品(カモノハシ文学であり、ルービックキューブであり)だったので、
次の作品もオリジナル作品であってほしい、と大きな期待を持って待っていたからです。


と・こ・ろ・が。とてもおもしろかった。
数ある神話のなかから、著者が選りに選ったのがこの物語ということなのでしょうか。
ある意味、カーソンの原点がここにあるということなのでしょうか。
別の角度から見た『琥珀捕り』であり、『シャムロック・ティー』の鏡のなかの世界でもあり、
読者としては、さらに、もっと深く遠いところから聞こえてくる声に耳を傾けつつ、不思議な旅をする心地でもありました。
堪能しました。神話の世界。キアラン・カーソン、詩人である。


巻末の井辻朱美さんの「解説」のなかで、神話はもともと「語りもの」であると書かれています。
耳で聞くべき文学を、文字でしか読めないのは残念なことです。仕方がないとはいえ、たぶん、(聞くのと読むのとでは)ずいぶん印象が違っているのでしょう。
とはいえ、語られるままの形の言葉たちが、文字となって書かれた文章というのは、特有のリズムや言い回しがあり、
それはそれで、他の文学にはない魅力になっているのだと思います。
神話を文字で読む楽しみもあるのです。


たとえば、独特の数の表記・・・「三かける七は二十一人分の奴隷」「八かける二十は百六十頭の鹿の大群」など。
時々挟まる歌(詩)と返歌(?)による会話のキャッチボールはまだるいような優雅なような、やっぱり現代文の物語を読んでいるのとは違う味わい。
それから、言葉の繰り返し。
たとえばクー・フリンとフェル・ディアズの決闘の場面(二日にまたがるのですが)
「そろそろ一休みしよう」そして、「今度はどんな武器を使おうか」「夜のとばりが下りるまではそっちに選択権がある。〜だから」
と、闘いのまにまに何度も繰り返される呼びかけ合い。このリズムが歌のようでもあり、波のようでもあり、心地よいのです。
こういう悠長な会話が、現代の普通の物語のなかで繰り広げられたら、そっくり抜かして読みたくなると思う。
でも、それが逆に心地よい、と感じるのは、神話だからなのだ。
なぜ神話だと、心地よくなってしまうのだろう、謎です。
いや、もともと「耳で聞く文学」と、心のどこかが了解していて、無意識に受け入れ態勢ができているからかもしれない。


物語そのものも、おもしろいです。
素朴ゆえのダイナミックさがあります。
ばたばたと、次々人が死んでいくし、悪だくみなどもあるのですが、血なまぐさくはないし、どろどろした感じでもないし。
どこか、間延びした悠長さがあり、そして、相手に対する尊敬もしっかりとあり、
さらには悠長すぎて、それはずいぶんマヌケな話ではないの、というようなエピソードにも笑いました(これは現代の感覚から)
とってもおおらか。


数々の英雄たちの横顔、からみなどもおもしろいです。
英雄クー・フリン。
人柄は素朴、豪胆でありながら、同時に繊細、かわいらしさ(まだ少年ぽさが残る17歳)も感じます。
怪物のような英雄に、「ちびクー」との愛称が微笑ましい^^
そして、アルスターに敵対するコナハトのメ―ヴ(女王)に忠実に仕えながら、
クー・フリンへ友情や、アルスターに望郷の思いを寄せるフェルグスやフェル・ディアスの存在は心に残る。


とはいえ、この壮大な物語、元をただせば、王と女王の寝物語から始まったしょうもない闘いの物語なのです。かなり馬鹿馬鹿しい話なのだ。
多くの人間たちを血祭りにあげ、最後の顛末は「これがオチか」と驚く。
無常感のようなものを感じつつも、からりと笑いあげたいような爽快感もある読後感でした。
神話いいねえ。何か続けて読みたくなってしまう。


ところで、この本のお楽しみは、本文だけではありません。
キアラン・カーソンによる「著者あとがき」、翻訳についての「覚書」や訳注まで、読み応えがあります。
そのあとにつづく「訳者あとがき」、井辻朱美さんによる「解説」を物語のしめくくりに読めるのも幸せで、
そう、本文の後に60ページもの「おまけ」が手を変え品を変え、読者を待っていてくれるのがとてもうれしい素敵な本でした。