ぼくらはわんぱく5人組

ぼくらはわんぱく5人組 (岩波少年文庫)

ぼくらはわんぱく5人組 (岩波少年文庫)


主人公ペーチャのモデルが作者自身だとしたら、ペーチャのやらかしたこと(?)ほとんど実話だったのかな。
こ、これは、「わんぱく」といったって、度がすぎるだろう。
相当のワルではないか。
近所の偏屈おじちゃんに睨まれ、決めつけられていたとしても、無理ないかもしれない。
「ミニタウンの大火」も、スズメバチもネズミも・・・
この程度のおとがめですんだのはもうけ物ではないか。おおらかな良き時代である。


ペーチャはちっとも良い子ではないし、懲りないし、しょうもないワルガキである。
主人公であるが、全く手に負えないやつ。
でも、それをちっとも美化していないから、なんだか懐かしいような気持ちになる。
いたよなあ・・・こんな子。
「末恐ろしい」とか、「将来ろくなものにならない」とか陰口をたたかれつつ、
ちゃんと成長して、ちっとも怖ろしくないごく普通の人になってしまった。昔の武勇伝影をひそめる。
そして、主人公だけではなく、その仲間たちも・・・いたよなあ。
癖のある大人たちも、かなりリアルに、いたのだ。
チェコの話だけど、日本の田舎も大同小異じゃなかったか?
この人間関係のおおらかさ、ざっくばらん・・・なわりに、ちょこっと面倒くさい感じ、わかるなあ、と思う。
こういう関係の村のなかで、目をつけられる、というのは、要領の悪い奴、でも憎めない、ということになる。


さて、そういう話です。
そういう話のはずでした。
けれども、作者カレル・ポラ―チェクはユダヤ人、アウシュビッツ強制収容所で痛ましい死を遂げたという。
彼の死の直前に書かれたのがこの物語で、ある出版社の秘密の引き出しに保管されていたという。
この本のなかの平和な世界に散りばめられたあれこれの言葉が、胸を突かれるようなメッセージに変わる。


あの荒唐無稽な夢はなんだっただろう。
しかもその夢は、生死をさまよう重病の熱に浮かされて見た夢。あの病気の本当の意味はなんだったのだろう。
病気だったのは、主人公ではなくて、世界だったのかもしれない。
怖ろしい熱に操られた人々の行動は、「夢」でなければ、どうして理解できるだろうか。
「よしてくれよ。ぼくじゃないんだ。勝手にだれかがはじめたんだよ。・・・」
という叫びは、あまりに強烈でした。
最後の章題は「心のたからもの そして再出発」です。
もしかしたら、やせ衰えて「スズメの足のよう」だったのは病後のペーチャではなく、作者自身かもしれない。
でも作者には再出発はなかったんですよね。