雪とパイナップル

雪とパイナップル

雪とパイナップル


「ひとりの子の涙は、人類すべての悲しみより重い」
ドストエフスキーの言葉だそうです。『カラマーゾフの兄弟』のなかにある・・・


著者は、チェルノブイリ原発事故後、医師として救援活動に参加しています。
そのとき出会った一人の少年アンドレイ。
事故の6ヶ月後に生まれ、十年後に白血病で入院します。
この少年を救うために尽力した人々は国境を越えて、職種を越えます。
さらにここに名まえが載ることのなかった人々がたくさんいる。
アンドレイは助からなかったのですが、このいのちを真にかけがえのないものと知り、
彼を救うために懸命にひたすらに尽力する人々の姿が浮かび上がってきます。


薄い絵本のような本、文章は淡々としています。
アンドレイが何を考えていたのか、周りの人々が何を考えていたのか、
詳しく書かれることはないのです。
だけど、書かれないからこそ、滲み出てくるものがある。
無言で差し出される命の重さです。
「ひとりの子の涙は、人類すべての悲しみより重い」
はじめにこの言葉を見たときにも、はっとした。だけどそれまででした。
読み終えたときにこの言葉を見れば、「重い」という言葉に、確かな重量を感じずにはいられない。
「ひとりの子」はどこにもいる。
あの子もこの子もどの子もみんなひとりひとりが「ひとりの子」なのだ。「重い」命を持った子なのだ。


すでに、私たち誰もが、否応なしにこの重さを「人類全ての悲しみより重い」重さを両肩に乗せてしまっているのだ。
まるっきり気がつかないふりもできるのだ。
重くないよ、としらしらと平然としていることもできるし、
その重さに打ちのめされて、地面にしゃがみこんでしまうことだってできるのだと思う。
この物語は希望の物語です。
でも、この「重さ」を、きちんと受け止めないで、
希望に向かって顔をあげることができるだろうか。できる、と言っていいのだろうか。


バナナの話があった。
著者より若いわたしですが、バナナが貴重品であった時代を知っています。
そして、
「バナナやパイナップルだけではなく、パパイヤ、マンゴ、何でも手に入るけど、いい時代とは思えない」
と、そう著者が言う現代に生きている。
バナナが貴重であった時代に感じた幸福感を忘れずにいたい。