ピエタ

ピエタ

ピエタ


・・・ほーっとため息をつきつつ、ちょっと検索してみた。(ウィキペディアで)
ピエタ慈善院(またはピエタ慈善院付属音楽院)も、「合奏・合唱の娘たち」も本当に存在していたのですね。
そして、ヴィヴァルディはほんとうにピエタで音楽を指導していたんだ・・・ 


舞台は18世紀のヴェネツィア
ヴィヴァルディの訃報から物語は始まります。
かけがえのない恩師の突然の死の知らせに動揺するピエタの娘たち・・・
語り手に孤児エミーリア(45歳になる)を据えて、
ヴィヴァルディと関わりのあった女性たちの姿を描き出していきます。


ヴィヴァルディというたぐいまれな音楽家を、なんと魅力的に描き出していることでしょう。
でも、彼は実際にはもういないのです。
彼のありし日を語るのはたくさんの女性たち。
身分も、境遇も全く違う、ただヴィヴァルディと親交があったことだけが共通する女性たちです。
彼女たちが出会った音楽家の印象は驚くほどに違っていました。まるで別人のように。
新しい面を知るごとに、ますます謎めき、魅力が増していく音楽家
それは水の都ヴェネツィアを隅々までまわる水のようにとらえどころがないのです。
そして、そういう印象は、一人一人の女性たちの姿を映す水鏡のようです。
・・・ああ、そうか、ヴィヴァルディと女性たちと・・・そしてさらにそのまわりの男たちも、
彼らひっくるめて「ヴェネツィア」の姿そのものなんだ。


この物語は追想なのか、現在進行形なのか・・・まるでゆらゆらとゆすられながら夢を見ているような読み心地。
美しい夢です・・・


ヴェネツィアは絢爛豪華な水の都。
けれども水に覆われたその水底には何を隠している。それは腐っているのか、退廃している何かか。
それはもしや「死」だろうか。
たとえ、そうだとしても、
それでもやはり水面に映るものも、水面に浮かぶゴンドラから見える景色もまた、ただ夢のように美しいのです。


カーニバルがよく似合う。仮面がよく似合う。そういう都市です。
どの女たちも、今にして思えば最後まで仮面を外さなかったのではないか。
その仮面の下に隠したものは一人で黙ってどこまでも持っていくのだ。
それは登場人物同志がお互いに了承しあっている。
読者にそっと差し出される、見せられる仮面の下の表情は、ほんの一部にすぎなかった。
だから「たぶんそういういことなのだろう」「そうだったのだろう」と想像する。
ほとんど間違いない、と思いつつ、まるっきりちがうかもしれない。
それもいい。
そして、そのうえでなお、玉手箱を開けるようにして知らされたことは、深い余韻を伴って胸のうちに広がっていく。
ろうたけたこの町から立ちあがる不思議な若々しさ、芳しさに、胸がいっぱいになってしまう。
女であることの不思議、生きることの歓びが、どれほどに歳を経ても湧き上がってくるような気がする。


ラストシーンが、美しい絵になって心に焼き付いています。
ただそのままで美しい絵になるのですが、
この長い物語をゆっくりとここまで味わった後で見るこの絵は、かけがえのないものとなる。
「死」から始まった物語は、「生」に引き継がれます。穏やかに。
かすかに音楽が聴こえてくる。