遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに

遺体―震災、津波の果てに


三月十一日。
岩手県釜石市の廃校になった中学校の体育館が、急遽、遺体安置所と定められた。
この遺体安置所をめぐる人々の約一カ月間のルポルタージュ


ただ本を読んでいるだけなのに、がたがた震え、足が萎えてしまう。
あの時間の描写があるわけではないのに、津波の途方のなさに、呆然としてしまう。
死者何千人、何万人、という数にしてしまえば、見えなくなってしまいそうだけれど、
この数の一人ひとりが、昨日まで、ついさっきまで、普通に町を歩き、机に向かい、台所にたち、笑ったり、怒ったりしていた、普通の人たちだった。
ここに運ばれてくる遺体となった人たちは、あの日あの時のままの姿、表情で、ここに横たわる。


あっというまに何もかもが破壊しつくされたマチで、「遺体」となってしまった人たちをひとりひとり探し出し、家族のもとに帰すため、人々は働く。
市の職員、ボランティア、医師、歯科医、僧侶、消防署員、自衛隊員・・・
そして、家族の消息をたずねてこの場所にやってくる遺族たち・・・
そこにはどんな綺麗ごともない。綺麗ごとが入る隙間もない。
それでも、ここで働く人たちの姿が、遺族の姿が、
『遺体』はどんなに姿が変わっても、まぎれもなく人である、一人ひとりが尊い人である、ということを思い出させるのです。
本文中にあった「死者たちの供養をなくしては釜石が未来に向かって進んでいくことはない」という言葉の重さ。
この場所に一度でも立った全ての人々に、わたしはただ頭を下げるしかないのです。


わたしにはこの本の感想は書けない。言葉がみつからない。
ただ、事実なんだ。
事実・・・
あまりに酷く痛ましい場面の連続・・・
地獄、極限状態・・・
だけど、読んでいると、そういう言葉とは正反対なんじゃないか、と思うような何かが力強くたちあがってくる。
この本に出てきた人たち、出てこなかった人たち、普通の人たちだ。普通の人たちのなかから立ち上がってくるもの。
亡くなった人と生きている人が、同じ人間として繋がりあう、人間としての尊厳。誇り。
・・・いや、そんな陳腐な言葉にしてしまってはいけない。


最後の一文に胸の中の何かが、解けていく気がする。
地震直後に現場に入り、大ぜいの人々に(生者にも死者にも)接してきた著者の言葉です。

みなさん、釜石に生まれてよかったですね。
見送る人たちと見送られる人たちが、心からそう思うことができるように(思ってると信じられるように)祈りつつ
遠くこの地に生きるわたしもまた、その言葉を胸に刻む。


・・・復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。
巻末の「取材を終えて」のなかの一文です。
十字架という言葉はずっしりと重いです。
私たちはまず人間なのだ、
人間として、人間にしっかり向かい合わなくては一歩も前には進めないのだ(進んでも意味がないのだ)と気づかされた言葉でした。


2011年最後にこの本に出会えたことに感謝します。