ダブリナーズ

ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)


他人に話したら「だからどうだっていうのよ」と笑われてしまうような些細な出来事ばかり。
どうでもいいことかもしれない。
どうでもいいことは、どうしようもないことなので、
よいことも悪いことも、したたかさも、みじめさも、名ざしがたいことも、おさまり悪くぎこちなく、ずっと自分の気持ちの中に居座り続ける。
15人の主人公たちに感じるのは共感かな、ノスタルジックな共感かな。
読後感は、せつないような、痛いような・・・でも最後には、沈み切った場所から、ふっと身体を上に持ち上げられたような感覚を味わうのです。
温かさ? 突き放してふふっと笑う余裕? 
マイナスの感情さえも、ほんのわずかな別の何かが混ざってくると、忘れ難い余韻に変わります。


そして、これらの人々の「だからどうした」が寄り集まって、きっとダブリンという都市ができあがっている。
物語の背景に見えるのは、宗教としっかり結びついた共同体の姿、
たぶん有名な大通りや橋、無名の路地やどん詰まりの家、あちこちの教会、
通りを行く自動車や二輪馬車、街路でハープを弾く人も、ちゃんとちゃんと見えてくる。
少し暗い空の下のアイルランドの都会・・・


好きなのは、『出会い』『小さな雲』『エヴリン』『痛ましい事故』・・・
『二人の伊達男』や『母親』も捨てがたいし、
もちろん『死せるものたち』は外せない。
どれもいいのです。


だけど、一番好きなのは『アラビー』。ダントツで好き。
少年の初恋とも言えないくらいの内気な淡い恋心に、懐かしいような痛いような気持ちになる。
震えるような憧れ、ちょっとしたことに舞い上がったり、見栄を張ったり、焦燥に駆られたり・・・
時間は夕暮れ時から夜にかけて。
解き放たれるような開放感と、暗がりに浮かびあがるバザーの明かりや喧騒が、魔法のように美しく、どきどきする。
そして、芝居がはねた時のように、ぱたんといきなり闇が下りる。
苦い思いをしているのだけれど、少年を包む夜の空気感がとてもいい。
優しいわけではないけれど・・・いいです。
ほどよい湿り気とひんやりとした冷たさが、そして闇と静かさが、ひっそりと寄り添う感じが好きです。