百歳

百歳

百歳


90歳から詩作を始めた柴田トヨさんの詩集はこの本で二冊目なのだそうです。
一冊目の『くじけないで』はベストセラーになり、多くの国で翻訳出版されているそうです。
わたしは、この本『百歳』が、柴田トヨさんの詩との初めての出会いです。


柴田トヨさんの詩は難しい言葉を使っていません。
失礼ながら、どれも良く知っている言葉、どこかで聞いたことがある言葉、ばかりなのです。
一言一言を取り出して見ればちっとも新鮮ではないし、
うたわれる情景ももちろん珍しくなんかないのです。
それなのに、ステレオタイプにならない。なぜかなあ。


これらの詩は、めずらしいものをめずらしい言葉で表現しようなんて思っていないのだ・・・
初めて見たもの、初めて気がついたものの驚きを歌っているのではない、と思うのです。
柴田トヨさんの詩句は、読む、というより、自分の奥深くから聞こえてくるような気がします。
外からではなくて、中からやってくる詩のような気がします。
自分の中に折りたたまれていた思い、しまいこまれていた情景に、
ああ、あったねえ、としみじみと向かい合わせてくれる。
しまいこんだまま、長いこと忘れていたけど、それ、いいものだよね、とちょっとだけ嬉しくて微笑んでしまいます。


ふんだんな写真。写真の柴田トヨさんは、どれもとても良い顔をされている。
美しいおばあちゃんの顔、と思います。
どうしたら、こんな顔をした百歳でいられるのかしら。
『自分に Ⅱ』という詩のなかにこんなフレーズがあります。


  でも 私には
  自分で ことばが紡げる
  誰かの心に
  糸を結ぶことが出来る
笑顔の秘密はこの詩にあるのかもしれません。


読みながら、子どもの頃のことを思い出しました。
真冬の風の日に、ストーブにあたりたくて家に跳び込めば、
祖母が「こんなに冷たい手をして」と言いながら、私の手を包みこんで、撫でてくれた。
しわしわの大きな手の温かさがよみがえります。