聖夜

聖夜 ― School and Music

聖夜 ― School and Music


主人公、クールに見えるのです。
気取るわけではない、才能がある、とんがった一匹オオカミは、かっこいいな、と傍目には見えるのだ。
かなりひねくれている、きついことを言ったり、周りをなめているように見えるけど、言うだけの力を持っているし、
つっぱっているのに、道を外すことはない。しかも、ほんとにちょっぴりのぞかせる甘さなんかも・・・
人気あるに決まってる、熱烈なファンがいるのも当然だ。
だけど、それもこれも、抱えこんでいるものがあるからだ。


彼の育った環境は、いろいろと・・・特別だったかもしれません。
しんどいだろうなあ、と思います。
塵ひとつなく清められた場所にいて、あまりにフォーマルな優しさに包まれていると、
自分もそういう位置に立たなければならないような気がするのではないだろうか。
でも、そこでは、決してあけることのできない蓋もある。
探し物を探すためには、汚物をひっくり返さなければならないのに、あまりに清潔な場所には、ひるむ。
じゃあどこに?
きょろきょろするけれど、どこまでも明るく綺麗だったら・・・困る。
いらいらするよなあ、やっぱりしんどいよ。
探し物以前のところで、しんどいよ。


だれもが生まれ育った環境にものすごく影響をうけているはずだし、根っこにもなっているはずだし・・・
わたしは平凡と言えるような家庭で大きくなったけれど、鮮明に覚えていること、忘れられないこと、
鮮やかに思いだすのは子どものときのこと。
子どものときの思い出が、びっくりするくらい今の自分を形作っていることに気がつきます。
良かった、と思うものもあるし、がまんできないようなのもある。
でも・・・一歩さがって考えてみれば、どれもが縒り合わさって今の自分に続いているのだと気づきます。


高校三年生。1980年。
懐かしいなあ・・・主人公の高校時代はわたしのそれよりほんのちょっと後だから、すごく近い。・・・と思う^^
高校生のころの気持ちがよみがえってきて、共感する気持ちが沸きあがってくる。
思い出は痛々しいような、まだ、どこか自分のなかに残っている青臭さに驚いたりしている。
でも、だからと言って、だれにもあるよ、同じだよと言いたくない。
まして、そういう時期なんだ、とひとくくりにしたくない。
だからといって、彼だけが、あるいは自分だけが特別のだれかなんだ、なんてことも言えるわけがない。
誰もが特別で、だれもが自分の音を探している。それなりの方法で。手探りで。きっとそうなんだ。


彼の一人称語り、シャープで投げやりで、そのくせまっすぐで、切れるような文章が、
後半・・・一体どこから、いつから・・・柔らかくなってきたのだろう。
どこからかわからなくても(だいたいあそこからだろう)、この変化が嬉しい。


主人公がオルガンで弾こうとしているのがメシアンである。
彼にとって特別の思い出がある曲だ。だけど、その特別は、とても複雑。
本当は捨ててしまいたいのだろう、忘れてしまいたいのだろう、でもそれができない。
できないなら、征服するか。それには、あまりに大きすぎる。
征服しようにも相手の正体が掴めてもいないのだから。
メシアンの大きな大きな存在感が、彼が抱え込んだ多くのものの複合体の象徴のようである。
オルガンにむかいながら、メシアンと格闘しながら、彼は彼自身と格闘していた。
暗闇の中で。
闇に迷う彼の前に明かりをかざすように、ときどきよぎる光のようなバッハ・・・天野・・・
そして、見まわせば、さまざまな音が彼の周りで歌いだす。青木・・・深井・・・友人たち。
さらには父や祖母や・・・母。
音楽が聞こえだす、わたしにも。ちゃんと聞こえています。様々な音です。
主人公一哉のオルガンの音を中心にして、ほら、たくさんの音が、たくさんのメロディになって、絡まりあってもっと美しいメロディになる。
音楽は色・・・メシアン共感覚の持ち主だった、と最初の方に書かれていた。
共感覚・・・主人公は別の形でこの曲と感覚を共にしていました。


そして、音楽の持つ力、圧倒的な力に言葉もなくす。
あるいはメシアンという作曲家がすごいのでしょうか。
メシアンを含む音楽というものがすごいのだろう。
・・・わたしは実は羨ましくて仕方がないのです。自分のなかには音楽的なものが何もないのだもの。
音楽の力をこんなにもダイレクトに感じられる主人公、鳴海一哉。
そして、音楽に魅入られてしまった天野や青木。さらに一哉の母。また別の意味で一哉の父。祖母・・・


物語がクライマックスの直前で終わるのが好き。もうちょっとで最高になる、という一歩手前で終わるのが好き。
本番にむかって盛り上がる、その一番最後の本番の手前のリハーサルは、本番よりずっと大切な一種の儀式のようだ。
本番よりずっと大切な。
このあと本番。いや、もっとずっと先の本番もある。
この物語の日々がまるごとリハーサルなんだ。
昨日のあれは、今日のためのリハーサル。
今日は明日のリハーサル、明日はその先の・・・追いかけて追いかけて、高低長短・・・まるでフーガのようだ。
その主旋律には、いつも彼が過ごした子どもの日々がある。
父がいて、母がいて、祖母がいて、オルガンとピアノがあった。