オン・ザ・ライン (再読)

オン・ザ・ライン (SUPER! YA)

オン・ザ・ライン (SUPER! YA)


楽しみにしていた朽木祥さんのトークイベント(於:新宿ジュンク堂)に、これから出かけます。
今朝、まだ暗い時間に、新聞を取りに外へ出たら、西の空にそれは明るい月でした。
昨秋、池袋での朽木祥さんのブックトークの日は、きれいな満月だったなと、
素敵だった夜のことを思い出しています。


『オン・ザ・ライン』再読。(初読の感想はこちら
出掛けで、気ぜわしくしていますが、読後の感想をちょこっとメモしておきます。


主人公日高侃の一人称で語られる文章です。
第一部と第二部ではなんとなく雰囲気が違ってきます。
第一部の侃は、あきれるくらいに自信満々、かと思うと、
ちょっとしたこと(でもないのだけれど)落ち込んで、やたら「俺みたいなやつは・・・」なんて言い出す。
あがったり降りたり忙しい男だなあ。
でも、嫌だけど、覚えがある、そうだったねえ。
侃も、いつかきっと思いだして、なつかしく思うこともあるだろう。


感動して、ぐっと気持ちがいっぱいになって、そのまま終わるのかと思ったラストで、
ふっと振り返った寂しさ。
そのときに、気がついたのだ。最初のころの侃の語りと、今とは違っている・・・
脱皮して少し大きくなった侃。
それは感動的だし、素晴らしいことだけれど、やっぱりひとつの楽園から追放されたことにはちがいない。
でも、その楽園を余裕で振り返ることができるようになったんだよね。
楽園を出るにあたっての厳しい試練を乗り越えたから、
新しいステージの新しい広がり、そこに挑戦していこうという気力が満ちているのを感じるから、
わたしは安心して、侃の置いてきた(もう決して戻れない)輝かしい楽園を振り返り、
その振り返りの痛みを、心地よい痛み、と思いながら読み終えることができる。
侃のなかで、いつか、この痛みが、さらなる深みにかわっていくことだろう、と信じながら。


もうひとつ、リアルだなあ、と思ったのは認知症のおじいちゃんの描写です。
口の端についた卵の黄身の汚れ、とか・・・ほんとにリアルで・・・すごくわかるから、痛々しい。
とても大きなおじいちゃんが、まるで少しずつ水が漏るように、少しずつ変わっていくのは、あまりに悲しいです。
まるで禅問答のような切れ切れのおじいちゃんの蘊蓄のある言葉は、そのたびにいちいち立ち止まって、
わかったようなわからないような、
いや、わかったなんて言ってはいけないんじゃないか、とまた考えています。


カラス坊のことは、やっぱり心に残りました。
寂しい心に共鳴するように侃に寄り添うカラス坊、
侃には帰るところがあったけど、カラス坊は?
「まるで生まれたときからこの島にいたような気がした」という侃の言葉が心に残る。
カラス坊にとって、この島が、彼の一生を輝かせる故郷になりますように、と願わずにいられない。
きっときっと。
(侃が「もともとのルーツは・・・〜・・・こいつらのほとんどと、きっとどこかでつながっている」と言ったとき、私はすごく羨ましかったもの)


それから「ちょっとだけ、ついてなかったんだ」(p309)という言葉が心に残ります。
彼ならもちろん、何も考えずに、体が動いただろう。
でも、もしも、もしも、一瞬、あのとき迷ったら?
迷って、体がすくんでしまって、動けなかったら? どうなっていただろう。
そうなったら、起きてしまったことがずっと心を離れることはないだろう。
きっとずっとずっとつらかったにちがいない。
それで・・・よかったのかもしれない。彼にとっては。
ちょっと肩をすくめて「ついてなかった」と言いながら。
そして、「ついてなかった」という言葉は、時にすごく重たくて深いものだ、と噛みしめます。


「脳と身体が連動」した「最高の“オールマッスルズ”状態」(p300)という言葉も、印象に残る。
ただのオールマッスルズではなくて、「最高の」は、「仕事は人生への表敬」と言う言葉に繋がる、深い言葉。
さらには、おじいちゃんの「・・・自分のこれまでを振り返ってみるとな、〜」(p264)に繋がっていく。
最高のオールマッスルズ・・・うーん、今からでも胸を張ってそう言える何かをみつけられるといい。ささやかでも。