ロマンス

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昭和8年。
世界景気は悪化、街には失業者があふれていたそうだ。
共産党の弾圧も徐々に激しさを増す。
庶民の生活は厳しく、明日への不安は日々濃くなってきていただろう。
それにひきかえて、世間からは煙たがれつつも華族の特権階級は維持されたまま。
無為徒食が可能な暮らしとがんじがらめの価値観のなかで、きらびやかでアンニュイな文化に耽溺したり、
火遊び(?)の延長で共産党の活動に参加してみたり。


上下のこの差。
だけど、庶民も華族もあまりに遠すぎる。自分に等しい身分の人たちしか見えなければ、格差もさほど感じないで済むのか。
それを感じるのは、どっちつかずの宙ぶらりんの人間だけかもしれない。


主人公は貴公子と呼ぶのが相応しい麻倉清彬子爵。
ロシア人の祖母を持ち、パリ生まれ・パリ育ち、ちょっと変わった両親のおかげで、実に個性的な子ども時代を過ごし、独特の価値観を得る。
容貌も性格も才能も、考え方も、ものすごく魅力的だが、どれも当時の日本の華族社会には受け入れられないものだった。


蝙蝠の話が、何度も出てきた。
どっちつかず。
相反する世界が、清彬のまわりにいったい、幾つ、何層、あっただろう。
そして、それら複数の世界の、相反する両側に属することを要求されつつ、両側から存在を否定されてもいる。
それはなんと危ういバランスなのだろう。ちょっと傾いだら生きていけなくなってしまうほどの。
絶えず緊張していなければならない、孤独でいなければならない。
そんなことができるだろうか。一生そうやって生きていけるだろうか。
それでもそうやってこられたのは理由があったからだけれど。
あるいは、この国を捨てれば、楽に生きられただろうけど。その選択肢さえもどっちつかずの感がある。
蝙蝠をやめることはできるのか、断ち切ることはできるのか。


最初に殺人事件が起こります。
だけど、犯人はわからない。殺された人間が何者なのかもわからない。
わからないまま、これはミステリなのかな、と首をひねりたくなるほどに、この事件は放っておかれます。
そのまま、ゆるゆると、だけど、ぬきさしならないさまざまな出来事が重なってきて、「殺人事件どうした?」と問うことさえ忘れてしまう。
やがて・・・
ああ、そうだったのか、は苦い、あまりに苦いです。
選んで蝙蝠になったわけじゃないのに。


この物語の二年ほどあとに、北村薫『鷺と雪』の「騒擾ゆき」があるのだ、とふと思った。
麻倉清彬と英子が、どこかですれちがっているかもしれないと信じられるくらいの、懐かしいようなせつないような、悲しい華やぎの帝都東京。