ソーラー

ソーラー (新潮クレスト・ブックス)

ソーラー (新潮クレスト・ブックス)


なんというタイムリーな物語であっただろう。
タイトルも内容も。
そして、人物たちの姿も。


ちょっといないくらい嫌な主人公でした。
でも主人公であるからには、読者としては、つかず離れず、ずっとお付き合いしなくてはなりません。(当たり前か^^)
あまりのおかしさに、ピエロ然とした彼に思いきり笑い(ことに北極でのエピソードは可笑しすぎて体が震えてしまいました)
その身勝手さに、ただただあきれ返り(都合の悪いことは忘れるだけではなく、都合のよい嘘をこねあげ、そのウソを自ら信じ切れるとは)
女癖が悪いだけならまだしも(いや、「まだしも」じゃないけど)人を利用するばかりで愛がない。
もうほんとにここまで利己主義の嫌な人間をよくもまあ捏ねあげたねえ、と作者の腕前に舌を巻いてしまいます。


だけど、なぜでしょう、たぶん彼が主人公だからでしょう、
いつの間にか、自分と彼とを同化(?)しながら読んでしまうのであった。
彼が危なくなれば、「そこに近づくな近づくな」と本のこちらから心配し、
さらにこの先は四面楚歌の状態に飛びこむしかないんだなと思えば、不安や緊張感でぴりぴりするのであった。
「自分のしたことにはちゃんと責任をとりましょう」「逃げていたらいつかそのつけを払う時が来るよ」という常識を持っているつもりなのに、
この本の主人公がそうしないで済まそうとするなら、そのお尻を押してやりたくなっている読者なのであった。


なぜだろうかねえ。
自分のなかで眠っている(目を覚ましてはいないと信じたい)嫌らしさが、彼の行動に共鳴するのかもしれない。
でも、それだけじゃない、と思う。
徹底的に利己的な彼のなかに、不思議なピュアさを感じないだろうか? 
それに、ここまで嫌らしさが徹底すると、矛盾するけど、むしろ不思議な誠実さを感じてしまうこともなくはない。


だけど、この主人公にこうまで肩入れしなければ、こんな苦い読後感を味わうこともなかった。
自分の常識に従って、良識の人として読むなら、これ、すごく爽快なはずなんだ。
だけど、苦い、よね。
そして、その苦さのダメ押しのような最後の一行。それに続く補遺。
取り返しのつかない後悔のような、甘酸っぱさがこみ上げて来て、よりいっそう辛い。
そして・・・辛いと感じられてよかった、と後から思う。辛い、と思う甲斐のある終わりかただった。
(ほんとは終わっていない。本の中にはこれからがある。これから先は・・・いい、考えないんだ^^)