チェスの話

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)


四つの中編と短編が収められています。
どれもおもしろかったです。


『目に見えないコレクション』のコレクションも、『書痴メンデル』の書物も『チェスの話』も、
その「もの」の世界を極め切るほどに深くのめりこみ、
そうすることにより、目に見える実物を越えて、広く深く、くっきりと心の中に根をおろしていく幸せ、
それと同時に(見返りのような)危機感も味わいました。
深入りすればするほどに、諸刃の剣の切れ味が勝るような感じ。
それでも、魅入られたら最後、奥へ奥へ、さらに奥へ分け入っていくしかないのかもしれません。
最後には狂気に通じるほどに。
だけど、わたしは羨ましくて仕方がない。
ここまで行くことができる彼らが。


『書痴メンデル』と『チェスの話』は、よく似ているくせに真逆でもある。
どちらも、もし違う時代であったなら、平和な世であったなら、と思う。
もし平和であったなら、メンデルは思う存分その世界に耽溺することができた。
生涯、ただその世界の喜びだけを享受し尽くすことができただろうに。
逆に、『チェスの話』のB博士は、
もし平和だったら、そういう世界があることも知らなかったに違いない。(だけど、ある程度の満足感をもって暮らしたことだろう。)
『メンデル』は、それによって破滅にむかうことになってしまった。
『チェスの話』は、それによって、破滅から救われた。(一時的であったとしても)
皮肉で、残酷で・・・そしてなんという大きな力だろう。
限りなく深く怖しく、不思議な美しさ、独特の幸福感に、憧れずにいられなくなってしまう。
そこに踏み込んだら怖ろしく苦しいだろうに、ふらふらと吸い寄せられそうな。
そして、何よりも・・・この世界は、人を選ぶ。大概は望んでもその入り口にもたどりつけないのではないだろうか。
だから憧れる・・・


好きなのは、『目に見えないコレクション』
まるで大人のお伽噺みたいで、微妙なバランスの上の平和と幸福が好きです。
この平和と幸福を支える人たちのやさしさと悲しみが心に残ります。
嘘でもいいんだ。これはこのままそうっとしておきたい。
いや、そうかな。
ほんとうはわからせてあげたい。
何もかも自分のなかにちゃんと持っている、それを見ている。いつでもどこでも取り出して味わえる。それがわたしは羨ましいよ、と。
内なるそれを手放すことがなければ、あとは何をなくしてもほんとうは何も失くしたことにならないじゃないか、
あなたはなんて豊かなのか、と。


三つ目の話『不安』だけがちょっと毛色が違う。
とてもおもしろかったのだけれど、結末に納得がいきません(笑)
主人公イレーネに寄り添って、緊張しつつ読んできて、驚きの展開に素直に驚いた。
だけど、いいのか。
こんなことをされて、このまま元通りにはなれない。誰が悪くても悪くなくても、わたしは無理だ。
という皮肉なのだろうか。