絵のない絵本

絵のない絵本 (岩波文庫)

絵のない絵本 (岩波文庫)


若く貧しい絵描きです。
せせこましい小路の狭い屋根裏部屋に住み、
一人の友だちもいないし、挨拶を交わすような顔見知りもいないと言います。
だけど、彼は自分の住まいを「見晴らしのよくきく高いところ」といいます。光に不自由しないと言います。
心豊かな若者だったに違いない。
友だちも顔見知りもいないという彼は、悲しい気持ちになることはあっても惨めではありませんでした。
そうでなくては、毎晩訪れる月から「絵」を聞くこともできなかったでしょう。


毎晩、彼の窓辺で、月は空の上から見た風景を語ります。短いものがたりを三十三夜。
都会、田舎、世界中。つい最近の景色から、ずうっと昔の景色まで。
思わず微笑んでしまう、小さな女の子のめんどりへのキス。(二夜)
外出することもなく寂しく亡くなった老嬢の柩の居場所の美しさ。(十夜)
くっきりと絵を思い描けるのは、そして、きっと忘れないだろうと思うのは、
玉座で死んだ少年(五夜)、「ばらの花」と呼ばれた女の子の最後の日のこと(三話)
クスクス笑ってしまうのは、クマとダンスをした子たちのこと(三十一夜)
などなど・・・


ささやかな風景から、劇的な風景まで・・・この地上で起こることを、人の間で起こることを月はずっと見ていたのです。
太陽ではなくて、月、というのもいいです。
太陽は何もかもが見えすぎてしまうように思います。
月は、隠したいことまで詮索しません。そっと影に包んで、柔らかく見せてくれるような気がします。
でも、わかるのです。目で見てわかるよりも心で見てわかるほうが確かなものもあるはず。
「絵」は、見かけの奥から滲み出てくる物語を、ちゃんと思い描かせてくれます。
その絵の奥に、その絵のまわりに、広くて深い世界があることを。



この本を手にとったのは、『「絵のある」岩波文庫への招待』で紹介されていたからです。
他の本には挿し絵を描いた画家名が記されていたのに、この本だけは画家の名がなかったのでした。
この本のあとがきにはただ「道部順先生所蔵の影絵」と紹介されていました。
最初はアンデルセン本人による切り絵かな、と思ったのですが、切り絵じゃなさそうです(線があまりに繊細だし)
だれなんでしょう。この美しい影絵を描かれたのは。とても気になります。