ハドリアヌス帝の回想

ハドリアヌス帝の回想

ハドリアヌス帝の回想


巻末の「作者による覚え書き」のなかで、作者は「わたしはじきに、自分が偉大な人物の生涯を書いているのだと気がついた」と書いています。
ローマ帝国の円熟期を築き上げた賢帝ハドリアヌスの生涯・・・けれども、伝記、という感じではありません。
吸い込まれるような美しい文章です・・・ただ読んでいる、というだけで嬉しいような。物語というより長い長い詩かもしれません。


ハドリアヌス帝は死に臨みつつ、後継者(の後継者)マルクスに語る形で、自分の人生を振り返ります。
ハドリアヌスは、すでに死の準備をすっかり整えているのです。
そのせいでしょうか。物語はとても静かです。
波乱万丈の人生であり、過去の業績や栄光、悔やむべき事件なども語られますが、出来事がメインではありません。


彼の回想は、内面的な世界の物語です。内面的な、という言葉さえもはるかに超越した物語です。
人生の黄金期を語るときでさえも、とても静かで、霧の向こうにぼんやりと出来事が見えるような感じの文章なのですが、
その霧は、彼が今、半分足を踏み入れている「死」ではないか、と思います。
華々しいことも、そして、髪をかきむしってのたうちまわるほどの苦しみも、陰謀も、野心も、愛も、恋も、友情も、憎しみも、
死のまえではなんて静かなのだろう。
そして、孤独なのだろう。


孤独・・・皇帝という地位にあるが故の孤独の深さ、権力を増し、周囲からの称賛の声が高まるほどにいっそう募る孤独でもあります。
けれども、それは寒々と冷たいものから、死に近づけば近づくほど、親しく迎えるべき孤独に変わっていくような気がしました。
偉大な皇帝から、一人の人間に戻り、だれもが、私自身も、やがて迎えなくてはならない死の「孤独」に包まれる。


夢中で生きているとき、自分が孤独であることを忘れてしまう。
でも、ほんとうはこの世に生まれおちてから死ぬまで、孤独でなかったことなんかなかったのかもしれません。
皇帝の回想を自分の身内に引き寄せてしまうのは、その孤独を思い出させるから。
思い出すだけではなく、すうっと受け入れようと思えるのは、静かで落ち着いた文章のせい。
生も死も、孤独も受け入れることによって、一人の人の人生は完成するのだ、完結するのだ、と穏やかに。