パンプキン!

パンプキン!  模擬原爆の夏

パンプキン! 模擬原爆の夏


パンプキン爆弾、模擬原爆。はじめて知った言葉でした。
原爆投下の練習として、1945年7月から8月にかけて49発もの模擬原爆が投下されていたこと。
なかでも怖ろしいのは長崎に原爆を投下した8月9日よりあと、8月14日に4発落とされていることでした。
続きがあったかもしれなかったんだ。
そして、爆弾につけられたパンプキンというふざけたネーミングに対する怒り。
・・・これらはみんな、この本の二人の主人公、小学生のヒロカとたくみに教えられたことでした。


模擬原爆や戦争のことをずっと調べ続けてきたたくみ。
たくみのおかげで、初めて模擬原爆というものを知り、しかも自分の町にそれが落とされていたことを知ったヒロカ。
ヒロカはたくみに助けられながら、模擬原爆について調べ始めます。


「もう、きりがないわ……。それも知れば知るほど、びっくりしたり、それはなんでやのん! と思うことばっかりやん!」
とヒロカ。
「知らないことは、こわいことだよ。だれかの言ってることが事実とちがっていても、そうなのかなあって信じてしまう。ぼくはそれがいやなんだ」
とたくみ。
そうして、
「いろんなことを知っていくと、結局だれが悪いのんかも、わからへんようになるな」 
彼らについていきながら、わたしもそう思う。それでも、知ってしまったら、もう後戻りはできないのだろうと思うのです。
根気良く続けていったら、どこかで思いがけない突破口に巡り合うかもしれない。
でも、わからないものがわかるようになるか、といったら、一生わからないままかもしれないけど、
せめて、これ以上ごちゃごちゃの「わからん」を大きくしないためにも。
「あきらめたらあかん」 byヒロカ


ヒロカとたくみは同じ資料を読みこみ、同じ「事実」を見据えます。思いも似ています。深いところでは一緒なのです。
知りたいと思った動機は同じだからだ、と思うのです。
それでも、それに対する二人の態度は大きくちがいます。
ほんとうのことを知りたいと、ひたすらに深く深く掘り下げていくたくみ。
大ぜいの人に知らせたい、と強く思うヒロカ。
たった二人の子どもしか出てこなかったけれど、二人がこんなにちがう。
(もっといたら、もっともっとちがっているはず。)
こんなにちがう二人が、それぞれに自分の目指す別の方向に目を向けながら、助け合い、意見を交わし合う。
そして、いっしょに長崎ちゃんぽんを食べるのだ。「長崎ちゃんぽん」をね。
・・・違う方向を向いていてもいいんだ。
だけど、ちゃんといっしょに長崎ちゃんぽんが食べられる、ってことは大切なんじゃないだろうか。
そうして、その長崎ちゃんぽんがもっともっとおいしくなるように、
ヒロカの言葉を借りて言おう。「あきらめたらあかん!」