わたしが情報について語るなら


連日、ネットを漁れば、洪水のような情報の渦。
毎日毎日とんでもないことが起こり、それも一個や二個ではなくて。
時には、その情報が流れるが早いか、それが間違いであったと言われ、さらにそれも違っていて、
それについていろいろな意見があっちからこっちから。
わたしはそれを夢中で拾い集める。
そうしているうちにわけがわからなくなってきた。
ただ、流れ込んでくるものを受け止めるだけで精いっぱい。
いや、ほとんどパンクしかけている。
だからといって、顔をそむけることはできなくて。


情報は集めるだけではだめだ、とは思うのだけれど、
必要な情報とそうでない情報をどうやったら見分けることができるのか、
必要な情報をどうやったら整理することができるのか、
必要な時に整理したものを取りだすことができるのか、
わたしはそれを知りたかった。


この本は、児童のためにやさしく丁寧に書かれた情報の本。
児童書ですが、わたしにはぴったりでした。
情報とは私を取り囲むすべて、空気みたいなものなんだ、と教えられた。
でも、空気であるならば、必要なだけ取りこんだり吐き出したり何も考えずに自然にできてますけど、
情報となると、そういうわけにはいきません。


正直、情報とはなんぞや、と語る第一部・第二部は、長くて、丁寧すぎて、挫折しそうになった。
(でも三部にすすむための準備は周到にしておかないと)
三部以降で、いよいよ情報を編集する、ということになります。
ああ、わたしに必要なのはこれです、まさに。
受け止めるだけではなくて使えるようにすること。
編集し、並べ替え、メモをし、わかりやすく整理する必要がありそうです。
実は整理整頓、苦手なのですが、そうすることで、新しい発見やつながりが見つかるかもしれないし、
集めた情報が、別のものに変わるチャンスもあるかもしれない、となると、やはりやらなければね。


情報の恐ろしさなどにも触れられ、
ああそうか、3月のあの日以来、うちのテレビや新聞が壊れたわけじゃなかったんだな、
オールド・メディアというものがどういうものか、今までまるっきり知ろうともしなかった、
気がつかった、というだけのことなんだ。
気がつかなかったのは、そのために支障を感じなかったせいだ。でも今はそれじゃ嫌なの。


最後にたどりついた「ほんとうにたいせつな情報とは?」に、はっとします。
情報というともっとずっと堅苦しいものを想像していたし、
感情をとりあえず除外して・・・と思っていたのです。
でも、感情もまた情報でした(一部ですでに触れられていました)
そして、一番大切な情報は・・・なんだか勇気がでてきます。
最初から目的を持って、ある事柄についての情報ばかり集めていましたが、
それはなんのためだったのか・・・
自分でも気がつかないでいたけれど、それは、自分のもっとも柔らかい部分のためだったんだ・・・
その線にそって、
情報を取捨選択(相変わらず難しい、この本を読んでも難しい)して、
情報を編集して(これもやっぱり難しい)
使えるように(これはさらに難しい)しなくては。
やっているうちに上手に使いこなせるようになるかもしれないじゃない^^