夏の家、その後

夏の家、その後 (Modern&Classic)

夏の家、その後 (Modern&Classic)


短編集です。
一作目の『紅珊瑚』のなかに、
ブレスレットの糸が切れて光る石が部屋中に散らばってしまう場面がありました。
暗がりの中で、たくさんの光る石をひとつぶひとつぶ見つけ出しては拾っていく登場人物の姿を見ながら、
ああ、短編を読むって、こういう感じ、と思っていました。
物語の筋よりも、光るものをひとつずつ拾い集めることに没頭する読書。


読み始めてすぐに感じたのは、文章の透明感や美しさへの心地良さでした。
でも、読後感は案外そうではないです。そうではないところがよいな。


主人公と深く関わり合う彼・彼女たちは、不思議な存在感がある。
たとえば、『ハリケーン(サヨナラのかたち)』のキャット。
『ソニヤ』のソニヤ。
『ハンター・ジョンソンの音楽』の名もない女の子。
『夏の家、その後』のシュタイン。
『オーダー川のこちら側』のアンナ。
・・・


彼らは少し変わっている。妖精じみた透明感があるのです。
世間ずれしていないのかもしれない。
まっすぐで濁りがないようにも見える。
主人公たちは、関わり合いになったら迷惑だなあ、面倒くさいなあ、と思いつつ、実は彼・彼女に惹かれている。
今、主人公が閉塞感を感じているのかもしれない。そこに吹き込んでくる風をもとめているのかもしれない。
風は吹きすぎていく。何度でも。だから、無責任に関わり戯れ、好きなように忘れてもいい。


でも、彼・彼女はもちろん風ではないのです。人なのだ。
もろく壊れやすい心を持ち、不安でせつない思いで・・・いっぱいいっぱいに生きている。
(もしかしたら、彼・彼女自身も、崩すきっかけを待っていたのかもしれないのだ。いずれ崩れることはとっくに知って。)
主人公がそれに気がつくのは、何もかも失ったとき。取り返しがつかないとき。
彼らは主人公にとってもう一人の自分だったのかもしれない。
自業自得なんだけどね、この取り返しのつかない思いは心に残ります。


印象的なのは表題作『夏の家、その後』
壊れやすくて、気味が悪くて、腐っていて、だけど、とても美しくて、ただもう美しくて・・・残酷なもの。
あの家は人のようだった。


世の中は見た目通りじゃない、
百人が並んで同じ風景を眺めながら、見えているのはまったく別の百種類の光景かもしれない。
そういうことに、はっと気がつく瞬間に時が止まる。