夜の神話

夜の神話 (講談社文庫)

夜の神話 (講談社文庫)


1993年・・・二十年近くも前に書かれた児童書ですが、まるで予言書のようではありませんか。
同じことが、いえ、それ以上のこと(物語でさえも書けなかったこと)が、起こってしまった。


でも、違うこともあった。
実際ことが起こっている今、どんなにしても、それをとめることができないのだ。
ひとりの英雄がいたとしても、とめることはできない。
そして、英雄に手を貸してくれる“目に見えない存在”も・・・ここにはいない。
いても、助けてくれるはずがない。


痛く胸に響くのは「闇鬼(あんき)」という名前です。

>欲は、生まれ出るや人間に取り憑き、人間を奴隷にした。欲の奴隷となって、おのれの欲を満たすこと以外は思わなくなり、善悪の判断も失った連中をおれたちは闇鬼と名づけた。
>地はふたたび、闇鬼どもの支配下にある。
ほんとうにほんとうにそのとおりじゃないか、と思う。
物語は、決して解決したわけではない。
これは警告なのだ。


こういう本があるよ、と教えてもらって手に取った本でしたが、
読み進めて、しばらくしてから、「おや、この本、読んだことがあるみたい?」と思ったのでした。
すっかり忘れていました。読んでいたんだ、わたし。
過去、「おもしろいファンタジー」と思いながらこの本を他人事のように楽しんでいたんですね。
それにしても、すっかり忘れられるような話ではないでしょう。
それを何もかも忘れた、ということは・・・。
いかに、いかに、こういうことに無関心な自分であったか、ということを明かしたようで、情けなかった。

>二度とあんな綱渡りはやっちゃいけないけど、でも、きっとまたある。おれたちにはわかってる。
二十年前にこの言葉があったのです。
神の声ではない、人の言葉。
そのとおりになった、それ以上のことが起きている。
もうやめないと。
今度こそやめないと。
そうじゃないと、次の「でも、きっとまたある。おれたちにはわかってる」という言葉をつぶやくことになる、わたしたちは。
(つぶやいている余裕があれば、だよね。つぶやく命があれば、だよね)


ファンタジーやSFは、現実離れしているから、おもしろいのだ。
物語が現実になってしまったら、いや、現実が物語を越えてしまったら、
それはもう洒落にも何もなりはしないではないか。
怖ろしすぎます。