内部被曝の脅威

内部被曝の脅威 ちくま新書(541)

内部被曝の脅威 ちくま新書(541)


2005年に出た本なのだ。
それなのに、現在、わたしたちのまわりに起こっていることを見て、踏まえて語っているかのような気がした。
何度も奥付の発行年月日を確かめる。


当時のICRPによる「低線量被曝」についての許容限度について、鎌仲ひとみさんはこう書いています。

>・・・では、いったい誰が「容認」しているのか? それは、常に放射性物質を使う側であって、使われる側では決してなかった。
人類(?)は核エネルギーに、「毒」よりも「エネルギー」としての可能性に夢見てきた、と言います。
振り返ってみれば、私が小学生のころ、国語の教科書に「原子力発電」についての文章が載っていた。
原子力発電は人類の夢だ、希望だ、と無邪気に信じた。
今の私たちの暮らしは、あの頃より豊かになったのだろうか。
幸福だと感じているだろうか。子どもたちに残したい世の中だろうか。


肥田舜太郎さんは言います。

>・・・功利主義的な考え方に基づき、「地球上の五十億の人間が幸せになるためであれば、一億人が犠牲になっても仕方がない」という考えから、原子力発電による放射線汚染にも目をつぶってきた。
一億/五十億ってことは、約分すれば五十分の一ってことですね。
五十人が幸せになるために一人だけは犠牲になっても仕方がない、だろうか。
思いうかべるのは、「いけにえ」「ひとばしら」などという言葉である。
わたしたちは「ひとばしら」の遠い過去から、ちっとも進歩なんてしていなかったんだね。
そして、そのいけにえの「一人」には自分や自分の身内が入るとはほとんど思わない。
肥田さんは続けて言いました。
>その結果、世界中で被ばく者が増えている。これが現状だと思いますね。

わたしたちの身勝手さと傲慢さが、自分の首をしめて、こういうことになったのかもしれません。


そして、改めてこの本の中に書かれている「脅威」を読んでみる。
怖ろしい世界です。
この国の国民だけが知らされていないのではなかった。
原子力発電」を推進していた他の国でずっと起こっていたことだった。
知らなかったことがこんなにたくさん起こっていた。
何も知らされないまま苦しんで亡くなっていった人たち、
それがどうしてなのか知らされないまま苦しむままに放っておかれる人たち、
しかも、知ってしまったために、一生苦しみ続けなければならない人たちのことも、
・・・人って、いや人の集まりは、その欲は、なんという卑劣さの塊になれるのだろうか。


警鐘を鳴らし続けた人の声はほとんど無視されてきた。
聞こえなかったのではない、聞かなかったのだ。
怖い話なんて聞きたくないもの、飽食の時代に。だから聞かなかった。


それでも、諦めず、ぶれずに立ち位置を変えずに、「核廃絶」を訴え続けてきた人たちがいたのですよね。
その意志の強さに言葉もないのです。
肥田舜太郎先生は、自らも被爆者であり、ずっと被爆者の治療にあたりながら、核廃絶運動にかかわってきた人です。
どれほど苦しく孤独な戦いであっただろうか、と思いました。
それなのに、肥田先生は、最後に、このように言われます。「・・・楽しいから、わたしは続けられた」
意外な言葉でした。

>・・・むろん、こうした運動に携わっていても全く利益にならないし、自分の私生活を膨らませる役には立ちません。けれど、私生活を膨らませる努力をするよりも、運動をしているほうが自分にとっては楽しかったから、私は続けてこられたんです。

この本「内部被曝の脅威」は重たいものでした。
そして、辛いけれど、今、わたしたちが体験していることが、この本のもう一つの章みたいでした。
それでも、もし幸いをみつけるならば、今後、どう生きたいか、です。
肥田先生は「私生活を膨らませるよりも・・・」と言われた。
わたしはもう、「私生活を膨らませる」努力が「幸せ」に繋がらないことを知っている。


さらに、「楽しい」という言葉。この言葉に大きく心動かされました。
この重たい本を希望を持って読み終えることができたのは、この言葉のおかげです。
肥田先生の「楽しい」という言葉(なんて大きな「楽しい」だろう)を大切に噛みしめています。