きみ、ひとりじゃない

きみ、ひとりじゃない

きみ、ひとりじゃない


様々な理由で国を捨てなければならなかった難民たちの旅の行き止まりがフランスのカレー、という港町かもしれない。
自分の足で歩いて旅ができる陸続きの場所の限界。
ここにたどりついた人々には、それぞれの理由がある。ここまで来る間に居場所がなかったことにもそれぞれの理由がある。
そして、ここから、海を越えて、さらに先まで行かなければならないことにもそれそれの理由が・・・。


イラクからやってきたアブドゥル、ロシアからやってきたチェスラブ、ロマのロザリア。
三人の少年少女がここで出会う。
そこにイギリス人の小さなヨナを含めて四人。
彼らがここにいる理由がだんだんに明らかにされますが、彼らのあまりにも過酷な経歴(それをまた丁寧に描いているのだ)に言葉を失います。
時代、政治、戦争、迫害、偏見・・・大きな力に翻弄されて、家族を失い、故郷を失い、
それぞれがひとりぼっちで、誰も信じず(信じられるわけがない)、ただ逃げて逃げて、ただひとり、ここにたどり着いたのでした。
深い深い孤独と不信のうちに。


彼らが国を追われなければならない大きな理由は衝撃的でしたが、
それよりも深く印象に残ったのは、彼らが子どもであるために被った悲惨さであった。
彼らを、「子どもである」ということにがんじがらめに縛りつけ、
卑劣でゆがんだ価値観のもとに最大限に利用しようとした大人たちや、それを見て見ぬふりをする社会の存在。
うまく言えない、なんて言ったらいいんだろう。
甘い罠を張り巡らし、彼らを型の中に納め、成長しようという意欲や希望さえも根こそぎにして、
子どもを従わせる強大な権力を持ち、しかも法に守られている大人が、私益のためだけにその権力を行使すること。
それが一番たまらなかった。
・・・でも、こういうことは特殊なことではないのかもしれない。
自分のまわりにも起こっていること、起こっているじゃない。


児童書、なんだ。これ。


誰が、自分の子どもをこんな形で「大人」にさせたいだろう。
誰か、こんな形で「成長」を確認させたいだろう。
彼らのまなざしの奥の深い暗がりから、思わず目をそらしたくなってしまう。


それでも、児童書なんですよね、これ。


誰も信じない、何も希望などない。ただ生き延びてきた三人(四人)が、
ともにイギリスに渡ろうとする。
相手に何も期待などしていない。自分だけ。
その彼らのあいだに、甘くはないけれど、わずかばかりの仲間意識が芽生え、
やがて、やはり小さな希望のようなものがほの見えるとき、
なんとも言えない感動に包まれます。
救われたような気がする、と思ったのは、彼ら自身のためではない、
自分自身のなかの暗がりにもわずかばかりの灯りがともったように感じたせいです。


原題は“NO SAFE PLACE”
邦題は「きみ、ひとりじゃない」
なんだか皮肉なくらいに真逆の言葉なのに、読了したとき、この二つのタイトルが重なるのを感じます。
その重なりが希望なのかもしれない、人間の厚みなのかもしれない、
そんなことを思いました。