オン・ザ・ライン

オン・ザ・ライン (SUPER! YA)

オン・ザ・ライン (SUPER! YA)


『風の靴』の海生が成長した姿みたい。
と、まず表紙を見たとき、思った。
一年ぶりの朽木祥さんの長編です。


主人公は(かくれ活字中毒の)テニス部の高校生。
舞台は部活、部活、部活・・・
主人公・侃(かん)のテニス漬けの青春に夢中になっていきます。
女の子へのあこがれも、強くなりたいとどんどんのめりこんでいくテニスも、
そして、わけのわからない泥臭くて素敵にあほらしい仲間たちとのあれこれ。
友だちの存在も、大切であるのに、時に鬱陶しかったり、
理解しているつもりでいたのに、勘違いだったり・・・
じくじくと湧き出してくる嫉妬までもが、
きりきりと胸が痛くなるくらいに輝かしいのです。
それがずっと続いていくような気がしていた・・・


第一部の章ごとの冒頭に、テニスの試合の情景が、描かれていく。章を挟んで続いていきます。
白熱するゲーム。侃と貴之と。両方の選手の性格までもうつす美しい(あえてそう呼びたい)試合が続きます。
気持ちがいい。このゲーム、どこまで続いていくのか。
どこまでもどこまでも続いていくような気がしていました。続いていてほしい、と思っていました。


貴之・・・かっこよすぎる(涙)


・・・
こういうことってある。夢を見ているみたいだ。
なぜ、どうして。ほんと、夢だったらいいのに。
過去の日々はなんだか聖域みたいに、ますます輝かしい。そしてせつない、苦い。辛い。


第二部の冒頭を飾るのは絵はがきです。といっても、画像があるわけではないのです。
どんな絵のはがきかが、短い文章で説明されています。そして、その絵ハガキが誰から誰におくられたかが。
それだけ。
それは知っている人なら知っている有名な絵であったろう。
わたしが、くっきりはっきり思い描けるのはカステラの箱の絵くらいだが、文章から想像している。
それは、いかにも書いた当人らしい、送られた当人らしい、
そして、送った人がどんな思いで、あるいは今どこでどのように暮らしているのか・・・想像させられるのです。
これは、物語のサイドストーリーになって、わたしの胸のうちに広がっていく。
何が書かれていたのだろう、どんな言葉で書かれていたのだろう、と思うと、ときに胸がいっぱいになる。
たとえば、カラス坊が背中に隠したはがきに。
いつか、カラス坊の話を聞いてみたい・・・
「おるよねえ・・・」の場面が印象に残ります。
本当の名まえも教えてほしい。


この物語の影には、たくさんの人たちのたくさんの物語が眠っている。


何かが壊れる瞬間ってあっけない。だけどそれを修復するのはなんて大変なんだろう。
何もかもパーツが揃っていても、しっくりといかないものなのだなあ。
侃の苦しみがあまりにわかりすぎて、自己分析があまりに確かすぎて、辛かった。


二度と戻れないかけがえがない日々は、戻れなくてもいいのかもしれない。
だって、夢中で過ごしたあの日々は、体の奥に、今を乗り越える力を蓄えていてくれたのだ、と信じられるから。
だけど、それだけじゃなかった。
思いがけなくて、くらくらして、涙があふれてきたのは、
置いてきたはずのたくさんの人たちが、置いてきた過去からあふれるように走りだしてきて、今、主人公の周りにいることがわかったから。
それが嬉しくて仕方がない、と思ったから。


これから向かうのは今までとは別の世界だ、きっと。


物語は「第一セット終了」と告げるのです。
そうだ。まだまだ第一セットなんだ。
次のセットは、どんなゲームになるのか。もしかしたらとんでもないどんでん返しだってあるかもしれない。
分かれたと思った道が、もう一度交差する可能性だってあるんだものね。そうじゃなくても・・・
ほんとにどんな二セットめが待っているんだろう。
わたしは、もっともっと・・・ずうっと観戦していたい。
今、高く舞い上がったトスボールを見上げる気持ちで本を閉じます。


また、物語中から、読みたい本を拾ってメモしました。
停滞気味の読書欲が戻りつつある。ふつふつと読みたい読みたい読みたい、と思い始めた。
侃には敵わないけど。(質で)


もうひとつおまけ。
最後の著者の言葉によれば、背景に著者の母校の様子が書かれているそうです。
ぬぎ・・・あれもあれかな。か。な。^^バンカラバンザイ。