レネット 金色の林檎

レネット―金色の林檎

レネット―金色の林檎


海歌の兄が亡くなり、翌年、父母は、兄と同い年の里子を夏の一カ月間、預かることにした。
北海道の爽やかな風や夏空、海、たくさんのひまわりが輝く様が印象に残ります。
それは、海歌の家族たちにとって、再生の一歩になったかもしれない夏だったのに、
九年後の海歌の回想から、この夏が、家族の崩壊を決定的にすることになってしまったのだ、と知ります。


ものすごい喪失感・罪悪感を味わい、苦しむ。
自分以外の人の痛みに思いを巡らす余地もないくらいの。
死ぬより辛い日々だったのかもしれない。
三人が三人、それぞれに、その思いは微妙に違うものの、苦しみ続けた。
とても分かち合うことなどできなかった。
自分以外の人間がそこにいることに気がつくのに九年かかった、ということだろうか。
と、かんたんに言ってしまえばそれまでだけれど、静かに、壮絶な九年だったのだ。三人が三人とも。
もっと他に方法があったかもしれないけれど、今、再生のスタートラインに立つために、
そういう九年をかけなければならないほどの痛みだったんだね。


海歌の回想から、九年前の夏が鮮やかによみがえります。
そして、海歌たち家族三人の思いが、苦しみが、そして、決して溶け合わない悲しみが、どうしようもない虚しさになって伝わってきます。
だけど、この物語は、回想の中の(複雑な思いの)セリョージャのいた夏を徐々にたどっていくのです。


この夏、セリョージャと過ごした日々が、家庭が崩壊するきっかけとなったのは確か。
と同時に、実はこの夏があったからこそ、この家族を再生させる種が撒かれる決定的な夏でもあったのです。
苦しみや後悔の重さについ見えなくなってしまうけれど、種がまかれたそのことのほうが、失うことよりもずっと大きな意味を持っていたはず。
その種が芽を出すまでに九年かかったけれど、この九年・・・
暗く冷たく、孤独だけれど、いつか必ず芽を吹く時を待つ九年だった。
その種をそれぞれの胸に植えこんだ九年であった、と思うのでした。


林檎の種。
この種はベラルーシから来た一二歳の少年セリョージャです。
海歌はチェルノブイリ原発事故の前日生まれた子です。
舞台は北海道で、
チェルノブイリの子どもたちを一カ月の間保養のために北海道に受けいれ続けた団体『チェルノブイリのかけはし』の活動がモデルになっているそうです。
(物語中では『虹の会』になっている。)
チェルノブイリの子どもたちの現状とその一人ひとりである子どもたちの北海道での日々が、迎える里親たちの思いが、
北海道の綺麗な空気のもとで暮らす海歌の眼を通して描かれます。
海歌は、チェルノブイリ事故の前日に生まれた、ということを自覚しているので、
人一倍、彼らに対して感じる思いもあったし、彼らの痛みを敏感に感じとってもいたはず。
それだから、余計に素直に表に出せず、それだから、余計に深く感じ・・・
彼女の感じることや考えることなどを読みながら、今、わたしは複雑な気持ちになります。
ときに、海歌と、相手側の気持ちと、どちらを私はより近く感じているのかわからなくなります。
そして、セリョージャのけなげさが、せつなくて、複雑な気持ちになる。
(元気でいてほしい、元気でいてほしい。ずっとずっと・・・元気でいてほしい。これからもずっと。ただそれだけを祈っています。)


チェルノブイリ・・・
日本の原発事故がなければ、忘れたままでいた名前でした。
ベラルーシ・・・この国の名まえも、場所も、たぶん、こんなことがなければ、知らなかったかもしれません。
ずっと忘れていた名まえ、過ぎたことと思って記憶のかなたにかたずけてしまっていた事件だったのです。
それが、今になって、彼らに近しさを感じると言うのは恥ずかしい。
こんなことを言うわたしは、勝手なものだ、と思います。


海歌は、あの日、何もかもを置き去りにし、思い出を埋めるようにして、故郷を去ったのでした。
それが、何もかもを置き去りにして、村を出て(村は埋められ)、故郷を失ったベラルーシの人々の姿と重なるのです。
九年を経て、今、封印を解くことができるかもしれない海歌とその家族たち。
そう簡単に、再生なんてできないかもしれないけど、何かが芽を吹きはじめているのを感じています。
片方はより困難で道は遠いけれど。
思い出のなかには、あの林檎の種がちゃんとある。


「病気の花束」・・・美しい分、ものすごく残酷な響き、悲惨な言葉です。
そして、これが今から5年も前の本。あのころ、5年後にこの国に起こることを予想していただろうか、と思うとやりきれない気持ちになります。