チェルノブイリの祈り

チェルノブイリの祈り―未来の物語

チェルノブイリの祈り―未来の物語


嘆き、嘆き、悔恨、諦め、嘆き、恨み、絶望・・・
これはチェルノブイリ祈り、というよりも呪いのようではないか。
読めば読むほどに、ふつふつと脂汗が浮かび上がってくる。
あまりのすさまじさに、怖ろしさに、苦しさに、続けて読むことができなかった。


それでもこの本の題名は「祈り」である。
何をどう祈ればよいのだろう。
こんな思いを二度と繰り返さないように、という祈りだろうか。
だけど、すでに起こってしまった。
聞こえなかった声、聞く気もなかった声に、いま初めて耳を傾けているわたし。


わたしの世界もまた、あの日を境に何もかもが変わってしまったのだ、変わりつつあるのだ。
どこにどのように向かっていくのか見当もつかない変化の中にいるのだ。
奢り、狎れ合い、「祈り」を忘れていた。
この本に付された「祈り」という言葉から目をそむけたい・・・今読むにはあまりに辛い本であった。


だけど、やっぱり「祈り」なのだ。副題は「未来の物語」なのだ。
今、ここにいて、わたしたちの祈り、未来は、どこにあるのだろう、と思う。
わたしたちの祈りは、今日の日の一刻一刻。確実に未来に続く一刻一刻。
探せば、闇の中にも小さな小さな希望のかけらが、少しずつ見えてくる。
どんなに小さくても、それを集めながら行く。それを一生懸命未来につなげていく。