ムーミン谷の彗星

ムーミン谷の彗星 (ムーミン童話全集 1)

ムーミン谷の彗星 (ムーミン童話全集 1)


長い尾を引いた巨大な彗星が地球に落ちてくるその瞬間は刻々と近付いてきます。
だんだん地球は熱くなり、海も干上がってしまいます。
ムーミン谷の住民たちも安全なところ(そんなところがあるのだろうか)を求めてどんどん逃げていくのです。


なんという不気味に緊迫した設定。これがムーミン物語でしょうか?
この怖ろしい瞬間をどのようにして迎えようとしているのでしょうか。


・・・・
だけど、なんだろ、この平和さ(?)
ムーミンママがムーミントロールをおさびし山の天文台に送り出すのは、本当に彗星を心配して、というより、
むしろ家にいて辛い話が子どもの耳に入るに任せておくよりは、楽しいハイキングに出したい、というくらいの気持ちだったようです。
彗星衝突が秒読み(?)段階になっている、というのに、道を急ぎに急いでいるはずなのに、
ムーミントロールたちは、雑貨屋さんですてきなものを探していたり、ダンスパーティを楽しんでいたりするのです。
ママは帰ってくる息子のためにケーキを焼いているし。


平和、と書きましたが、価値観の問題かもしれません。
何より、訪問者に対していつでも大きく開かれた扉、ムーミン一家のおおらかな受け入れ。
相手が何者であろうとも、この家の門口に立ったものは、いつでも、家族同様に迎え入れられるようです。
どんな時でも。どんな人でも。
だから、誰かが、この家のことやママのことを口にしたときにほっとするのです。


そうして、地球が真っ黒になってしまって、大事な海がなくなって、もしかしたら明日地球がなくなってしまうかもしれない、としても、
楽しいことを楽しいと感じ、大切な人を大切と感じ、義務はどこまでも義務だし、礼はどこまでも礼なのでした。
怖れないわけじゃない。もちろん怖ろしいです。逃げないわけじゃないのです。全力で逃げますとも。
だけど、だけど、失ってはいけないもの、ぶれてはいけないものが、彼らのなかではちゃんとしているのではないだろうか。


たとえば、いよいよというときに、最低限もちだしたいもののリストを作るように、とスノークが提案します。
「好きでたまらない品物には星を三つ」つけてください、と言われたとき、スナフキンの答えは、
「僕のリストは、いつでもできるよ。ハーモニカが、星三つだ。」
でした。
地球が真っ黒になって、海がひあがって、地球が亡くなってしまいそうな時に、大切なものは・・・たぶん今も大切なものなのです。
最後の日に大切に思えないものは、たぶん今だって必要ないのかもしれません。