ナージャ 希望の村―チェルノブイリ、いのちの大地


思い浮かべたのは、テレビで見た五月の福島県川内村の新緑。
避難している川内村の方々の一時帰宅の様子を放映するテレビの画像を私は見ていた。
誰もいない村にもちゃんと春は巡って来ていた。輝く緑だった。美しい風景だった。
いったいどこが汚染されているというのだろう。


この本「ナージャ希望の村」を書かれたカメラマンの本橋成一さんはあとがきでこう言われる。
事故から五年後、チェルノブイリ原子力発電所を訪れた折、最後に案内されたベラルーシの汚染地域に立ち寄った時のことです。

>汚染された土地を、草も木もない、荒れはてたところだとかってに想像していたぼくは、おどろいてしまいました。かがやく新緑と咲きみだれるりんごやなしの花、すんだ空、せせらぎと鳥のさえずり・・・。汚染地といわれているところは、ユートピアとも思えるほど、美しいところだったのです。


ナージャは、原発事故の一年後、汚染地域のドゥヂチ村で生まれます。この村の最年少の子どもです。
すでに強制避難が始まっていて、この村には9家族しか残っていなかった。子どもはナージャたち5人兄妹だけ。
やがて、ナージャ達も町へ引っ越していきます。


ナージャの言葉で、ドゥヂチ村に残る人々の暮らしと、この村の春夏秋冬の美しさとを語ります。
父さんの「いのちをまっとうする」という言葉の重み・深みは、土から生まれます。
何も贅沢で刺激的なことはない、ただ、巡りゆく日々の営みの充実。
感謝と祈りのうちに、土を耕し、土から生まれた「いのち」を恵みとして受け取り、やがてその土に自分もまた戻っていく、
土からいただいた自分の「いのち」を、今度は次の「いのち」に与えるのです。
いのちの循環というものが、ごくごく自然にごくごく素朴に、ここでは行われていたのです。大きな充実と喜びを持って。
ナージャの語る村の暮らしの様子を読んでいると、大好きなクーニーの絵本「にぐるまひいて」を思い出します。


ナチに占領され、めちゃくちゃにされたこともあった。たくさんの人々が犠牲になった。
それでも、何年もかけて村は平和をとりもどしたという。
「でもこんどのやつは、この村を消してしまった」というチャイコフスキーおじさんの言葉に籠る思いに言葉が出てきません。


こうのとりやかえるや魚に、誰が「引っ越しなさい」と伝えることができるだろうか、何が起きたか誰が説明できるだろうか、
というナージャの言葉にも、わたしは答える言葉がみつかりません。


ナージャの村は地図から消えました。もう二度と蘇ることはない。
でも、ナージャという名前は「希望」という意味だそうです。
この村で一番最後にうまれた命(人間としては)の名まえが希望であることは大きな意味があると思うのです。


昨日の「自然エネルギーに関する 総理・有識者オープン懇談会」(http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg4972.html)で、
今日本で起こっていることに、坂本龍一さんが「パンドラの箱」という言葉を使っていました。
パンドラの箱から出してしまったものはもうもとに戻らないのです・・・
でも、パンドラの箱から一番最後に出てきたのは「希望」だったじゃありませんか。
この本のなかで一番新しい「いのち」であるナージャが「希望」であったように、
わたしたちの国には、たくさんの「希望」=子どもたちがいます。
この「希望」たちの命が踏みにじられるに任せたなら、この「希望」たちを守ることができなかったら、
わたしたちに未来なんてないだろう。


ドゥヂチ村の「希望」は健やかに育っています。大人たちの見守りのもとで。