白の祝宴

白の祝宴 (逸文紫式部日記 )

白の祝宴 (逸文紫式部日記 )


紫式部を探偵役に据えた『千年の黙』の続編です。


紫式部日記とは何なのか。
日記に書かれたこと、書かれないこと、微妙な表現法が語るものはなんなのか。
当時の、歴史の表舞台に上ることのなかった出来事、人間関係。当然、そこに生まれたはずの様々なおもわく、わだかまり、思い。
すべて、名もなきものとして消えてしまったあれこれが、もしかしたら、形を変えて、どこかに残されているかもしれません。
たとえば、源氏物語に比べて「つまらない」と言われる(とのことですが読んだことはない^^)紫式部日記に。
読みながら、わたしは、
「もしかしたら、そうだったんじゃないかな」と思いはじめ、やがて「確かにそうだったに違いない」と思うに至ります。


ああ、そのまえに、まず、柱となるのは、中宮彰子の皇子出産にからむミステリです。
中宮の産屋に逃げ込んだ手負いの盗賊はどこに隠れたのか。
折も折の事情により、決して盗賊はこの屋敷の中に隠れることはできないし、外に出ることもできなかったはずなのに・・・
というところから始まり、帝の皇子出産にまつわる貴族たちの思惑などがからまって謎は深まるのです。
簡単な盗賊騒ぎと思ったら・・・。気持ちよく翻弄されました。


そうした物語の横糸になるもう一つのミステリ。
千年を超えて今も現実にちゃんと存在している紫式部日記のなぞです。
さらに、それを裏打ちするのがまた千年の流れを超えて残っている文献である、ということ。
それ、ちゃんと読んだことなくても中学生なら(いや小学生でも、か)みんな名まえは知っている。どんなものかも知っている(つもり)。
みんな知っているものに、そんな不思議が隠されていたのかと、どきどきしないではいられません。
作者は、この時代の有名無名の女たちをそれはそれは魅力ある個性として、思う存分に活躍させてくれました。
(私は、「末摘花」が好きだという少女の孤独が忘れられません)


二つのミステリが互いに絡まり合い、縒り合されたストーリー。
いえ、中宮の周りで起こった事件の謎を、同時代同舞台の上で解いてみせる紫式部を追いかけるようにして、
その時代の記録である『紫式部日記』の謎を現代という場所から、作者が解いてみせてくれる。
二重構造のおいかけっこのミステリは、高見の見物の読者にしか味わえない楽しみです。


そして、浮かび上がってくるのはたぶん、女が女として生きていくための強さ、と思いました。


中宮のおひざ元、女の世界で生き延びるための女房たちのしたたかさ。
たおやかでか弱い風情でありながら、その胸には、武器となるべき一物を隠し持っています。
ぞくりとし、そのしぶとさに舌を巻き・・・それでも見事としか言えない。
凄さに参りました。


名もなき女たちが名もなきままに命を終えていく。粛々と運命に従う女たち。
だけど、もしかしたらそうではないかもしれない。
「つまらない」紫式部日記がそれを知っている。
かもしれません。
殿方たちは出し抜かれ、出し抜かれた事にも気がつかず。後世に生きる私たちもまた気がつかず。
なんとも小気味よいではありませんか。