スリー・カップス・オブ・ティー

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)


K2登山に失敗した一人の登山家の命を救ってくれたのは、地図にも載っていないパキスタンの山間の小さな貧しい村だった。
世界から隔絶されたような場所。他所に通じるまともな道さえもないこの村には学校がありませんでした。
学校どころか医師もいないし、子どもたちは栄養失調で髪の色さえ薄いのです。
登山家は決意します。
「僕が学校を建てます」


この登山家の名はグレッグ・モーテンソンといいます。
全ての子どもに教育を、教育こそ無知と貧困を克服し、平和を築く礎であることを片時も疑いませんでした。
彼は、ほとんど一文無しでした。強力なバックアップがあったわけではありませんでした。
無謀な荒っぽい決意とも思ったのですが、彼は信念の人であり、行動の人でした。
彼の武器はただひとつ愚直であるということ、それに尽きるような気がします。


けれども目標達成の困難さは、一言では言い表せないものがあります。
険しい道を乗り越えて頂上にたどりつくことができたのは、彼が登山家であったからかもしれません。


険しく危険な道でしたが、その道を歩くからこそ出会えたたくさんの美しいものに、感動しました。
美しいものは信頼、友情、そして希望。
少しずつ増えていく仲間と共に見る夢。(実現されるべき夢)
子どもたちの未来を保障する大きな一歩。
着実に教育は成果をあげ、子どもたちが未来にむかって自由に夢を思い描くのを見ること、応援し続けること。
小さな希望は、さらに大きな希望を生み出し、まわりじゅうに広がっていきます。


自分の村に学校を建ててほしい、村の子どもたちに学ぶ場を与えてほしい、という村の大人たちの切なる願い、
純粋に、ただ学びたい、という子どもたちのひたむきな姿に、
何度も何度も熱いものがこみあげてきました。
教育は、全ての礎でした。希望でした。
貧しい親たちが命をかけてでも子どもたちに託す希望でした。

>テロが起こるのは、どこかの集団が“アメリカ人を憎むことに決定した”からではありません。子どもの頃から、明るい未来を思い描けないからです。ほかに生き延びる手段がみつからないからです

2001年、アフガニスタン紛争後、「学校よりもまず、安全保障こそ国家として優先すべき課題である」という共和党議員に対して、グレッグは、このように語りました。


今や、アフガニスタンパキスタンに、グレッグの建てた学校は100を超えます。
グレッグを支援するたくさんの仲間もいます。
でも、彼は歩みを止めません。まだ彼は冒険の途上なのです。


読後なお心に残るのは、グレッグが人生の師と仰ぐハジ・アリの言葉です。
彼はグレッグが最初に学校を建てたコルフェ村の村長でした。
グレッグは、教育を強く推進しましたが、無学であることを蔑んではいません。
彼の成功の陰には、人間への素直な敬意があったのだ、と思っています。

「バルティ族の人間と初めていっしょにお茶を飲むとき。その人はまだよそ者だ。2杯目のお茶を飲む。尊敬すべき客人となる。3杯目のお茶をわかちあう。そうすれば家族の一員となる。家族には、我々はどんなことでもする。命だって捨てる。グレッグ先生。3杯目のお茶をわかちあうまでじっくり時間をかけることだ。
(中略)
たしかに、我々は無学かもしれん。だが、愚かではない。この地で長いこと生きのびてきたのだから」