ボグ・チャイルド


ファーガスは、湿地の泥炭(ボグ)の中から、死体を発見する。それは、見たところ八歳くらいの女の子の姿で、つい最近亡くなったように見えた。
けれども、実は、鉄器時代の、約二千年前の死体だったのだ。エジプトのミイラのようなもので、泥炭にはそういう保存力があるのだそうだ。
少女は、金の腕輪をつけて、頭にはボンネットを被っている。だけど、よく見れば、首には縄が巻かれ、背中には刺し傷があった。この少女はどういう生活をしていたのか、何が起きたのだろうか。なぜここで、このように死んでいなければならなかったのか。
このときから、ファーガスの夢に、二千年前の女性メルの姿や暮し、思いが、混ざり始める。


時は1981年の夏。場所は、北アイルランド(と南アイルランドの境)
北アイルランド領有をめぐるイギリスとアイルランドによる「北アイルランド問題」のさなかである。
ファーガスの兄ジョーは、過激な活動家グループの一員として逮捕されて、刑務所にいるが、服役中の同志たちとともに、イギリス政府への抗議のハンガー・ストライキを始める。何十日にも及ぶストライキの末に、次々に仲間が餓死を迎える中で、兄の死の時も刻々と迫っている。(兄の意志に敬意を払うも、意義については、もやもやしている。何よりも、兄に死んでほしくない、生き続けてほしい。)


二千年前の謎、1981年の隠された真実、確実に進んでいく終わりへの時間、そして、自分はいったいどう生きたらいいのか……。
夏というのに冷たくどんよりと重い空気。時代の空気だろうか。それを切っ先の鋭い刃で思いきり切り裂いていくように、物語は進むのだ。その刃のあとを駆けるようにして、私はついていく。
切り口から何が溢れてくるのか、最後の最後まで油断はできない。
複数の物語が錯綜して、この物語はミステリという枠を超えている、と思ったり、いや、そうだった、実はミステリだったか、と改めて思い直したり。


2000年前に生きた女性の思いと、兄ジョーの今とが、手をつかねて見守るファーガスのなかに流れ込み、混ざり合っていく。混ざり合って、生まれ育った土地の中に溶けていく。


「母さん、父さん、この紛争が始まった時、どうして南側に移住しなかったの」
この言葉に、避難を呼びかけられた震災、原発事故後の被災地の人たちを思っていた。私が暮らすこの土地の事も思っていた。簡単に切り捨てられるだろうか。
誰かにとって、「なんて場所なの、ここは。こんなところで生きていく自信はないわね」と言われるような土地でも。


「ここは美しい。これは、だんだん好きになって、一生かかってやっと理解する、そんな美しさなんだ」
「このためなんだ。これらすべてのため。ここが、ふるさとなんだから」
湿地を駆け抜けていく青年が感じる美しさを、私も肌で感じたい。


分断、差別、自由、尊厳。
当事者の見事なほどの明るさと突き抜け方と、見守る者の苦悩との激しいコントラストも心に残る。
その先に、徐々に見えてくるものはいったい何なのだろう。


メルの生きた鉄器時代
ファーガスのいた1981年。
そして、わたしが今いる2011年。
時間は続いていく。考えて考えて、いつか、やはりそれは間違っていた、と思うことになったとしても、この先に時間が続いているというのは良いことだ。続く厳しい現実のなかで、爽やかな風の吹くラストが好きだ。
2000年という時間は、へだたりではなく、脈々とした流れだ。そして、それは、続いていく命の軌跡だ。