かべ WALL

かべ―鉄のカーテンのむこうに育って

かべ―鉄のカーテンのむこうに育って


絵本作家ピーター・シスの自伝絵本です。といっていいかどうか。
というのは、この絵本に描かれているのは、作者がアメリカに移住する前のチェコプラハの生活で、
一人の画家の自伝であるとともに、チェコの戦後史にもなっているのです。
ナチスドイツに占領された第二次大戦のあと、
ソ連支配下共産党独裁時代を、子ども(そして若者)だった作者の目を通して描きます。
強制と監視の時代でした。
ピーター・シスは、1949年、チェコで生まれ、1984年にアメリカに移住するまでチェコプラハで暮らしていました。
(この本のすぐ前に読んでいた『わたしは英国王に給仕した』と時代がだぶります。)


モノトーンの画面のなかで、党の星と旗だけが赤く描かれる。不気味に赤く。
漫画チックに画一的に描かれた豚のような大人の顔が印象に残ります。
それは、子どもにさえ本心を語ることのできない親の顔であり、
密告を奨励する秘密警察の顔であり、
洗脳教育に従事する指導者の顔でした。
みんなでおそろいの豚の顔になることがこの世界で上手に生き抜くことだったのだろう。


見開き一杯に描かれた「プラハの春」の心浮き立つような色彩が、ことさらに輝かしいのは、このあと、またモノトーンに戻るから。
プラハの春」の喜ばしい色の奔流のあとのモノトーンは、その前のモノトーンよりいっそう暗く寒々として見える。
だって、この世にこんなに美しい色があることをもう知ってしまったから。
この絵本のなかにこんなページがあることをわたしも見てしまったから。
そして、作者はすでに「自分の頭で考える」ことのできる青年になっていたから。


おかしいのですよ。
彼の描いた絵のなかの煙突のけむりを検閲されるのです。どちらから吹いているかが問題なんですって。(どうか西からではないように)
ロックは禁止。党の偉い人たちはエルビス・プレスリーを女性だと思っていたんです。

自由を夢みた。
むちゃくちゃな夢・・・

作者は想像します。
翼のついた自転車、
棒高跳び
地中にトンネルを掘って、
彼はその想像力の力で思い切りはばたき、軽やかに壁を越えようとしていました。
その夢はおかしくて、荒唐無稽で、なんともせつなくて、不思議な静けさと美しさに満ちていて…やりきれなくなります。


自由とはいったいなんだろう。
今わたしたちの持っている「自由」にケチをつけることができるのが自由。
それをおろそかにすることも自由。
失ったものを取り戻すことはとてもとても難しいのに、
いつのまにか、それを忘れてしまいそうになる・・・


ピーター・シスは、見開きの画面を壁で割り、ヨーロッパ世界を俯瞰します。
壁のこちら側を、暗い色で描く。そして、そこにある「もの」を文字で示します。
壁の向こう側は明るくて、やはり、そこにあるはずの「もの」を文字で示しています。そして、その果ては遠く、彼方には青い海が見えるのでした。
青年のあこがれは羽に乗り、かろやかに壁を越えて遠く遠く飛んでいくようです。