わたしは英国王に給仕した

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)


深刻で辛い場面のはずなのです。
怒りに声を荒げることがあったとしても、決して笑えるような状況ではないだろう。
たとえば、自国(チェコ)がナチスに占領された第二次世界大戦の時代。
自国のクーデターにより、共産党一党独裁による資産凍結、資産家の投獄の時代。
だけど、少し離れて、ちょっと変わった方向から事態を眺めれば、悲劇は喜劇であるかもしれません。
国民がみな同じ方向を向くことを強要されたら、そこには大きな無理があるし、
無理を無理やり(?)通すためには、かなり奇妙なこともまかり通るし、
まるで催眠術にかかったように、白いものが黒く見えたり黄色くも赤くも見えたりするのかもしれません。
そうしたら、悲劇だと思っていたものが実はとんでもなくばかばかしい喜劇だった、ということもあるでしょう。
そこにさらなる喜劇、時代を超えてしぶとく居座る階級格差、階級差別がからんできます。


チェコのホテルの給仕見習いとしてソーセージを売ることから、主人公にして語り部のヤンの人生は始まります。
拝金主義の14歳の貧乏な少年が、とんとんと成り上がり、やがて自分のホテルを所有する百万長者になる。
でも、成功物語ではありません。
成功したはずなのにちっとも満たされない、成功だと思ったものが成功ではなかった、としたら、それはどんな時でしょう。


彼は、自分の求めるものを貪欲に追い求めます。
それはすごく不器用で、ぶしつけで、全然スマートではないのです。
あまりのあからさまな貪欲ぶりに、思わず顔をそむけたくもなるのですが、見回してみれば、
彼以上に、彼の周りの世界があまりに喜劇チックなので、
彼の逞しさ、へこたれなさをただ感心して楽しんでしまう。
物語中、何度も何度もお目にかかる言葉は「信じられないことが現実となった」
この言葉が出てくるたびに、そらきた、今度は何かな〜と期待してしまう。
そして、そのたびに本当にとんでもないことが起こるのです。起こらなければ起こすのです。
嘘でしょう〜、とわめきたくなるようなあんなことこんなこと。
だけど、誰の人生だって「信じられないこと」の連続かもしれません。
迷走に次ぐ迷走。そのはてにどこにたどりつくのだろう。


自分の背が低いことにコンプレックスを感じる男は、少しでも背を高く見せたくて、やたら背筋を伸ばして歩く。
自分の身分よりも高いところに住む者と肩を並べたいという彼の意識と繋がっているような気もする。
そこへもってきて、彼の息子はただひたすら金槌でえんえんと床に釘を打ち込み続けるのです。
まるで自分の背を引き上げようとしている父の存在を息子が床に押し込み続けているように見えて、皮肉に笑ってしまいます。


そうして、果てに、彼がたどりついたところに、ほっとしてもいます。
彼にとって誇るべきは、自国で一番のホテルの持ち主にして支配人であったことよりも、
ただの給仕として「エチオピア国王に給仕した」という事実だったのかもしれない。
それもいいんです(しみじみ)。人生、おもしろいなあ。