不思議な羅針盤

不思議な羅針盤

不思議な羅針盤


2007年から2009年まで雑誌『ミセス』に連載されたエッセイとのこと。
この連載のことを、梨木香歩さんは「あとがき」のなかで
「なんだか同じ年代の女性たちとおしゃべりしているような感覚だった」と書かれています。
その感覚は、しっかり読者にも伝わってきて、
気の置けない友人たちにまじって梨木香歩さんと御一緒させていただいているような気持ちで読みました。
そんな気さくなエッセイだった、と思います。
梨木香歩さんは気さくになってもやっぱり品があって一味ちがうのですが^^


梨木香歩さんのエッセイは、洗いあげた清潔なブラウスのイメージです。
お日様に干された温かくて芳しい匂いといっしょに、しっかりと糊づけされた襟のぴんとした感じ。
梨木さんは、読者から『西の魔女が死んだ』の‘まい’のイメージで見られることがあるそうですが、
むしろおばあちゃんのほうがイメージに合うように、わたしには思えます。
梨木香歩さんは魔女かもしれません、と思ったら、ほらやっぱり。
「魔女は直感を正しく使う」という章がある。
ご自分でちゃんと実感しているでしょ^^


「見知らぬ人に声をかける」の章では、声をかけるほうもかけられる方も(人を選ぶという点で)「賭け」なのだそうです。
おもしろいです。この考え方。
「だから話しかけてきた人と、一瞬でも楽しい会話が交わせたら、それは二人の勝利である」って。
いいね。
他人に話しかけるって、結構勇気がいるんですよ。こんな年齢のおばさんにだって。
そんなおばさんが勇気を出せる言葉をありがとうございます。


「小学生のころ」の章も好きです。
素敵な人に出会うと、この人どんな子どもだったんだろう、と思うことがありますから。
梨木さん、小学校のころ学校図書館の本を全部読破した、なんて、そんなことさらっと書かれるけど、
そういうことを目標にするくらい本好きな人にならあったことがあるけど、
ほんとにやってしまった人には未だ嘗て会ったためしがありませんでした。すごいよ。
しかも、このころ好んで読んだ百科事典からの知識がいまだに生きているらしいなんて。・・・ほんとにすごい。
小学校時代にすでに、現在の梨木香歩さんの方向が決まっていた、という話、

>小学校時代はあらゆる可能性に満ち溢れている、というようなことがよく言われるけれど、そしてそれはある意味では事実であろうけれど、その可能性が開かれる方向は、実はずいぶんと狭いものではないだろうか。

・・・そういうこともあるかもしれません。
わたしも、あのころ好きだった本はいまでも好きです。
あのころ好きだったあれこれは、別の形になってやっぱりいまでも好きです。


丁寧に暮らす、ということは丁寧に感じる、ということだろう、と思います。
梨木さんの日々は丁寧です。
その言葉はとても丁寧。
自然が好きで、ご自身、鳥のように、何にも囚われることなく思い立ったらあちこちに軽々と移動して行かれる。
鳥にしても植物にしても、それらを見つめる目は慈しみに満ちています。道端の草にさえも。
梨木さんは鳥や植物と語りあいながら、遠い世界を旅しているのかもしれない。
遠い世界をさまよいつつ、日常の自分の身の周りの何やかやに目が戻っていくような。
鳥や草木について語っているのかと思えば、
いつのまにか社会情勢についての考えになり、「言葉」についての考察になり、人として生きる姿勢の話になったりして、
そのたびに、ぴんと背筋が伸びる感じがするのです。
穏やかに、優しい言葉で、ときにユーモアたっぷりに(あくまでもワハハではなくてクスッです)語っているけれど、
梨木さんの姿勢は、ストイックです。ストイックですが、自分以外のものには限りなく優しいです。
相手が、人ではないものになればなるほど、優しくなっていくように感じます。
片山廣子さんの「燈火節」からの引用が何度か出てきたけれど、片山廣子さんと梨木香歩さん、似ているような気がします。


厳しい指摘のあとに、「どこかの梢で、ジョウビタキがヒンヒンヒンと鳴いている」なんて言葉で文章をおさめるのですもの。
憂いのある今日だけれど、ほっとする何かがここにあるのだ、ということを思いださせてもらいます。
ほっとしたら、少し落ち着いて自分のまわりを丁寧に見回してみよう、という気持ちになります。