ジョーカー・ゲーム

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ジョーカー・ゲーム


軍部が実権をにぎる日本の昭和十年代。陸軍内に、スパイ養成学校、D機関が設立された。
D機関のスパイたちの暗躍を描いた連作短編集です。


D機関にスカウトされるのは、いずれもかなりの才能を持った民間人。
彼らは、独特の訓練を経て、アルセーヌ・ルパン並みの超人的なスパイとなって、任務を帯びて世界各地に散らばっていきます。
これだけすごい才能を持っているなら、こんな日陰の職業を選ばなくても、どんな道でも成功しただろうに、と思うのだけど・・・凡人には彼らの気がしれない^^


スパイ小説ですが、007のように、華々しい活躍も、派手なアクションもありません。
スパイはあくまでも影の存在、地味な存在なのでした。(時代背景の暗い華やぎにも似合っていると思う。)


どんな価値観にもとらわれないこと。
この世界の何者も信じないこと。
それが徹底してスパイの条件なのだそうです。


各物語の主人公たちはみんな違う人物で、舞台も扱う事件も、活躍の仕方もそれぞれ違います。
でも、全ての物語(事件)を掌握しているのはD機関の創設者にして元締めの結城中佐。


「魔王」と呼ばれる結城中佐の凄みを感じたのは、三話『ロビンソン』
「死ぬな殺すな」を第一戒律とし「見えない存在」に徹するスパイが、その正体を見破られ捕えられることは、「目も当てられない失敗」だという。
捕えられたD機関のスパイが、どうやって事態の打開をはかるかが正念場の物語のなかで、実際には一切物語に顔を出さない結城中佐が果たした役割に慄然としました。
一見冷酷非情の極みに見えるその行為ですが、逆に、そこまで自分の部下をしっかり把握していた、ということで、なんともすごいおじさん。
わざわざ「一見冷酷非情の極みに見えるけど」と言いたくなるのは、ひた隠しに隠した彼の心の底の底に、何か人間的なものを感じるからです。
部下どころか肉親・家族さえもやすやすと裏切ることも辞さないはずの世界で、なぜか、それだけではない奥深さを感じ、信頼できるような気がする。
彼はなぜスパイになったんでしょうね。ほんとうはどんな人だったんでしょう。


ほとんど姿を見せないのに結城中佐の存在感はあまりに大きく、彼の手となり足とな活躍するスパイたちが霞んでくる・・・
というよりも、そもそも、スパイたちに存在感なんてあったのかな、最初から。
D機関の教えのままに、その能力を駆使し、すべての感情を捨てて任務に従事するスパイたちですが、本名も経歴も隠したまま、読者にさえ明かしてはくれないのです。
そのため、物語はおもしろいのですが、スパイたちは影が薄く、ちっとも親近感がわいてきませんでした。
でも、それでいいのかもしれません。
だって、印象に残るような存在になってしまったらスパイとして失格ですものね。