バルタザールの遍歴

バルタザールの遍歴 (文春文庫)バルタザールの遍歴
佐藤亜紀
文春文庫


「今朝起きたらひどく頭が痛んだ。バルタザールが飲みすぎたのだ」
カバー裏のレビューに書かれた引用文に魅了されました。意味がわからないへんてこさに。
メルヒオールとバルタザールはハプスブルク家傍系の公爵家の長子にして双子。
双子ではありますが、一つの肉体に宿った双子なのです。


双子それぞれの人格は別物。当然性格も違います。
なのに、一つの肉体を共有して自然に「私たち」でいられるその不思議な当り前さ(?)がいいです。
そして、からんでくる一癖もふたくせもある登場人物はどの人もどの人も厚みがあって忘れられない。
エックハルトは、知れば知るほど好きになりそうだし、読み終えてもなお恐ろしさが残る道化の天才もいる。


時は1918年から1939年。ヨーロッパ。ヒトラーが台頭してくるころです。
二部構成の物語ですが、
第一部 転落
第二部 転落の続き
と題されている。なあんだ、ずーっと落ちっぱなしではないか^^
そうそう、一言でいえば、公爵メルヒオールとバルタザールがころころと転がり落ちて、落ちぶれていく物語であります。
なんとも悲壮な展開・・・だけど、ちっとも悲壮な感じがしない。不思議な逆説的な価値観に彩られた物語なのです。
悲劇は喜劇であり、転落は「上方に転落していく」ことなのです。


ころげおちるにまかせっぱなしの主人公二人(?)
流れに逆らうことなく落ちていくさまは退廃的な雰囲気が漂いますが、
落ちてなお、うまれながらの公爵としてのプライドと価値観と、鷹揚な雰囲気が、バリバリ庶民のわたしには新鮮です。
ぼろぼろの一文無しが、先行き見えない道中でザクロをむさぼり食い、
そのまま訪問先で(まるで昨日も今日も従者にかしずかれながら食卓についていたかのように)
エレガントにフィンガーボールを要求するあたり、にくいです。
どこに行っても、独特のノーブルな雰囲気を漂わせる二人(?)なのだ。
悪く言えば、落ちぶれようがなんだろうが地球は彼らを中心にまわっているのですね、きっと。


めったに運命に逆らおうという気持ちにはならない彼らですが、
誇りを傷つけられたときに見せる反撃のスマートさを見れば、「やればできるじゃん」と爽快な気分にさせてくれます。
これだけの頭脳と行動力(そして茶目っけ)をフルに活用していたら、こうまで落ちぶれることもなかったんじゃないか、
もうちょっとなんとかなっただろう、と思うが・・・
彼ら、そういう気にはさっぱりならないどころか、そのような価値観を(たぶん)軽蔑するんだろうな、と思わせられる。
やっぱり、やんごとなき血筋なんでしょう。素敵。


まるで翻訳ものを読んでいるよう。
広くて深い世界史の造詣に、わたしはちゃんとわかっていないし、ついていけてもいないのですが、それがなんでしょう。
だって、私、そこに居させてもらったもの、確かに。
そこにいたら、たとえその場の状況がなんにもわからなくても、ちゃんと呼吸できちゃうんです。
そんな感覚。あまりに自然な空気感。
(間違いなく日本人の作家の書いた本なんですよね、これ?)


たとえばナチやヒトラーを小馬鹿にした洒落た言い回しなどの皮肉が、なんとも小気味よくて、思わずクスッと笑ったり。
社会風刺が目的なのか。深遠な意味があるのか。いや、たぶん、ない。と思う。
そんなことを考えるのはやめよう。
これは喜劇。そして、高級なお遊びです。
遊びなら、徹底的に遊び倒すのがいい。そこに何か別の意味を求めることはスマートじゃない。
たぶんバルタザールとメルヒオールもそう思うにちがいないです。