ある小さなスズメの記録

ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯
クレア・キップス
梨木香歩 訳
文芸春秋


著者は、ある日、傷ついたスズメの雛を保護します。
この雛は障害があり、そのせいで、親に、生き延びる可能性がないと判断されて育児放棄(?)されたらしいのです。


著者の手許で手厚く養育されたスズメの子は、他の野鳥からは考えられないような知性を見せ始めます。
その一つ一つの例は驚きに満ちたものでした。知性、と書いたけれど、むしろ感性です。
人とスズメとの豊かな感情の交流の細やかさ、微笑ましさには、本当に感動してしまいます。
小さなスズメの子がこのように育ったのは、著者との深い絆によるものでした。
二人の関係はまさに家族であり、まるで親子のようです。


著者は、その序文のなかでこのように言っています。

>これは愛玩動物の物語ではなく、何年にもわたり、人間と鳥との間に培われた親密な友情の物語である。
よるべなく、野に放たれたら死ぬしかなかった一羽のスズメの子。
第二次大戦下空襲が続き不安だらけの街で暮らす独り暮らしの女性。
互いが互いの存在を必要としていたのではないでしょうか。互いの欠けたものを埋めあうように。
それだからこそ生まれた友情だったのだ、と思えます。


圧巻は、この子の晩年の記録です。
大きな病気の病後、そして、老衰・・・そのためにきかなくなっていく体や五感。
それでも小鳥が幸せに暮らせるようにと、様々な工夫を凝らす著者の献身。
そして、それにこたえるかのように、もはや生きられる日は限りがある、というときでさえも、
スズメは、自力でリハビリし、さらに独自の方法で筋肉強化に努めていた、というのです。
こうした小さなものの、生きるための地道な努力の姿から、力いっぱい生きる勇気をもらいます。
たとえ明日死ぬかもしれないとしても、自分の力を総動員して、なお向上しようとする。
それを見守り励ます友人としての著者。
人とスズメ。互いが互いを支え合って、高めあっている、信頼に結ばれて、本当にこの二人は相棒なのだ、と思いました。
互いの命を輝かせる相棒。

>・・・ただこれだけははっきり言えるのは、全てのけものや鳥たちには知性が潜んでおり、人間から与えられる愛情や友情の強さによって、差はあるにしても、それを伸ばしていけるということである。
と著者は言います。
ともに暮らす者としての確かな絆、そして愛情と励ましとが、互いをどれだけ成長させることか、と思います。
「ウサギはさびしいと死んでしまう」という嘘だか本当だかわからない話も・・・なんとなくわかるような気がします。
うさぎじゃなくても、誰かとつながっている、ということは生きていくためにすごく大きな力になるのだ、と、
この小さなスズメの記録は語っています。


もうひとつ面白いな、と思って印象に残ったところがあります。
戸外の野生の鳥たちが、家のなかのスズメにひとかたならぬ興味を示したところ。
この洒落者のスズメに会いに(または愛を求めて)たくさんの野鳥たちが、最初はおずおずと覗きこみ、
やがて、開け放した窓から、部屋の中に入ってきていた、ということ。
部屋の中にスズメが一羽いた、としても、人間の住まいに(しかもその場に人間がいるのに!)こわがらずに入ってくる野鳥
(それも次々たくさん、スズメだけではなく種類も雑多)・・・
こういうことってあるのでしょうか。わたしにはとても不思議で素晴らしい光景に思えたのでした。