冬のデナリ

冬のデナリ (福音館文庫)冬のデナリ
西前四郎
福音館文庫


真夏でもマイナス20度のアラスカ・デナリ(マッキンレー)登頂は、難関。
まして、真冬に、なんてお話にもならない。当然、未踏だった。冬のデナリ初登頂の記録です。


作者は、自身の名を小島次郎(ジロー)と変えて、第三者の目から小説形式で、この記録を書きました。
でも、これはすべて事実です。
まさかの奇跡的な幸運も、降ってわいたような悲劇も、すべて本当にあったこと。
あまりにドラマチック、始まりから終わりまで・・・
まさに事実は小説より奇なり、ということか、と思います。


「そこに山があるから」(ジョージ・マロリー)と言う名言を思い出し、その意味を理解したような気がしました。
山がある・・・この言葉の中にはなんて多くのドラマが含まれているのだろう。
数週間の山の日々が、人生に匹敵するくらいのドラマ。短いインタビューでとても答えられるわけがない。

この本を読みながら、人間の脆さや傲慢さを感じ、
それを越えていく人間たちの連帯(決して一人ではない)の素晴らしさ・偉大さに強くゆさぶられました。
再び思います。まさに事実である、ということの重みを。
そして、これが小説ではない、ということは、感動だけでは終わらない、ということ。
著者は、この本を書くために、三十年近くたってから、嘗ての仲間を一人一人、訪ねてまわります。
その訪問の様子と彼らのその後の人生が、後日談として、書かれています。
実は、ここがわたしは一番好きなのです。


彼らが成し遂げたこれだけの大事業の意味は、それぞれにとってまるっきり違っていました。
感動的な記録文学を書き上げた者もいる一方、
にがにがしい思いでしか振り返れなかった者、口を閉ざして語ることをしない者もいました。
この冒険のために犯したあまりに大きな犠牲への後悔の念、無責任な第三者による批判による痛手のせい。
克己、忍耐の心であれだけの命がけの冒険を戦いきって生還した人たちなのに。
彼らに、偉大なことを成し遂げさせた、人と人とのつながり。でも、人を残酷に打ちのめす力も持っている人と人とのつながり・・・
そして、そのようにして、様々な思いを抱いて、さまざまなステージに生きている一人ひとりを訪ねたのち、
最後に著者はメンバーの一人ジョージに尋ねます。

>「ジョージ、我々の『冬のデナリ』ってなんだったんだ。君にとって」
目を細めて暖炉の火に見いっていたジョージは顔をあげ、私を包みこむような笑顔で言いました。
「イット ウォズ ファン(面白かったじゃないか)」
・・・言葉もありませんでした。
わたしたちもまた、それぞれの山を上っているのかもしれません。山頂の見えない山。
多くの危険や思いがけないクレバスが口を開けた平原を歩き、いつまでもやまないブリザードに身を伏す日もあるのだろう。
だけど、いつの日か振り返って、とびきりの笑顔で言えたら、と思います。
「イット ウォズ ファン」と。