雲じゃらしの時間

雲じゃらしの時間雲じゃらしの時間
マロリー・ブラックマン
千葉茂樹 訳
あすなろ書房


「生きているってすばらしいよね!」と大きな太字で書いてある、最後の一文。


マロリー先生が「詩を書こう」と言ったとき、サムはデービーのことを書くことにしたのだ。
サムの詩の一番最後は、生きていることの素晴らしさが、瑞々しい言葉で、誰の真似でもないサムの言葉で綴られています。
喜びが盛り上がっていくように連なり、最後の一文になるのですが、
素直な感動とは遠いところで、せつない思いで心動かされるラストです。
この最後の言葉を、サムはどんな思いで綴ったのだろう。祈りのような言葉・・・


そんなふうに感じることができる自分だということをサムが知ったのは、デービーのせいなのです。
最初は、いじめがテーマか、と思いました。。

>井戸がかれはじめて、
水のことをなつかしく思うから
という言葉が出てきたけれど、人を苛める心は、最初からかれかけた井戸のようなものかもしれません。
だけど、潤いのない井戸にも、ちゃんと水脈があること、水を満たすやり方を教えてくれたのはデービーでした。


「雲じゃらし」というゲームを教えてくれたのもデービー。
このゲームをする場面は物語中、ただ一度だけでてきます。美しくて印象的な場面。
だけど、それは・・・


後半、失ってしまったものの大きさに反比例するように、サムの詩の一言一言がさらに輝き始めるような気がします。
その詩は、一番伝えたい人に一直線に向かっている。言葉は命を持って輝いているのです。
嘗て、乾いた自分の心に満々と澄んだ水を満たしてくれた人がいた。だから、きっときっと。
かれた井戸がまた豊かに満たされることもあるはずです。
それを願いながら、祈りながら、その祈りよ届け、と強く念じながら、「生きているってすばらしいよね!」と歌います。