パンドラの匣

パンドラの匣 (新潮文庫)パンドラの匣
太宰治
新潮文庫


『正義と微笑』『パンドラの匣』の二編が収録されています。
『正義と微笑』は16〜17歳の少年(青年)の日記、『パンドラの匣』は二十歳の青年から友人への手紙、という形になっています。
どちらもよかったです。



『正義と微笑』


16〜17歳。いやだいやだ。すっかり忘れてしまいたい恥ずかしい時代だってことを思い出させる。
まだちっとも世間のことなんかわかってもいないくて、わかっていないこともわかっていなくて、
いっぱし偉そうに理想を語る。潔癖な夢を見る。
白か黒か・・・極端なのよ。中間色では生きていけないのだ。
そして、不安定。孤独で、でも孤高でありたい、と願う。
朝に大望をもったかと思えば、夕べには失意のなかにいる。
自分を過信したかと思えば次の瞬間には不信に陥る。
若さゆえの狭量な理想を持ち、まわりの人間たちに対しては、寛容のかの字もない。
なんて傲慢不遜、自惚れ屋なくせにナイーブな若者なのだろう。
あきれるけど、同時に、そのとんがりが、まぶしいのです。
その揺れ動き、浮き沈みする不安定さや苦しさがまぶしいのです。
痛くてまぶしくて、恥ずかしいのよ。


彼は、兄を深く尊敬し憧れている。
けれども、この兄は・・・たぶんモラトリアムの人なのだ。歳をくってもずっと純なままなのだ。
日記の最後のほうになると、この兄に対する批判(とても控えめだけれど)が現れ始める。
兄は弱い、と思いいたる。
バルザックやドストイェフスキーと自分を引き比べて力量が違うと嘆く兄のことを、
「はじめから、あの人たちに勝とうと思うのは欲が深すぎるのではあるまいか」と思い始める。
そういう批判は、兄を通して、実は自分の弱みへの気づきでもあっただろうか。
兄への憧れ(実は今までの自分)から少しずつ醒めて、距離を置きながら、彼は少年期を少しずつ抜けていったのかもしれません。
最後には兄と違う世界に住んでいることをはっきりと自覚するまでに。



パンドラの匣

>あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪欲、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話
語り手の僕は、二十歳にして、肺結核をわずらい、その療養のために『健康道場』という施設にいる。
戦争が終わったばかりのこの年、、死が隣にいることに気がついてしまった・・・
ここにいる人たちの今は、死を意識しながら、切実で、不安に満ちた苦しい日々であったはずなのだ、ほんとうは。
だけれど、ここには不思議な平和がある。


世間は焼け野原であろう。進駐軍の噂も聞くけれど、どこか別世界の話のようだ。
まるで気楽な合宿生活みたい。
あえて、そんなふうに思わせるのは、この書簡が、『パンドラの匣』から最後に出てきた光る石そのものだからだろう。
助手とよばれる看護婦たちとの淡い淡いロマンスともいえないくらいの恋心。不思議な友情。
たまには仲間と理想などをともに語りあう日々。小さな波風・・・
どのエピソードも、現実離れしたおとぎ話の世界のようです。
ふふふ、「やっとるか」「やっとるぞ」には脱力してしまうよ。


「僕」は「かるみ」ということばを使っている。
「わび」や「さび」や「しおり」よりもはるかに上位に位置する「かるみ」を、
「欲と命を捨てなければ、この心境はわからない」という。「翼のすきとおるほどの身軽な鳥」にもたとえている。
その「かるみ」というものが、この物語全体の雰囲気になのです。


パンドラの匣から最後に出た小さな「希望」、「かるみ」。
これらの言葉の明るさ・軽さの奥の深みを思います。
ほんとうの明るさも軽さも、底知れぬ闇や重さを知っているからこその沁み入るような輝きなのでしょう。
自分も仲間も、明日死ぬかもしれないことを覚悟して、でも、その覚悟の言葉はいっさい伏せて、
ここに軽やかに語り合うこの時もまたひとつ、壮絶な青春かもしれない。
ユベール・マンガレリの『四人の兵士』(感想)にちょっと似ている・・・



『正義と微笑』も『パンドラの匣』も、
似ているのは、主人公(一人称の語り手)が、世間の荒波から離れた閉じた世界で暮らしていることかもしれません。
理想も夢も苦しみも、どこか絵空事。悪く言えばお気楽なのだ、と思います。
でも「お気楽」といってしまうには、なんともいえない純な美しい光を感じるのです。
この暮らしは、期間限定で、
二作品の主人公は二人とももうすぐ(『正義と微笑』ではもうすでに、ですが)この静かな世界を出ていかなければならないのです。
もっとあわただしくて、きな臭くて、生臭い世界が待っているのです。
だから、期間限定で、こういう光を感じることができたことがかけがえがないかもしれない。
恥ずかしいと言いながら懐かしく思うのです。