ぺナック先生の愉快な読書法

ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条
ダニエル・ぺナック
浜名優美・木村宣子・浜名エレ―ヌ 訳
藤原書店


>「本を読む」ことを隠語では「紐で手足を縛り上げる」と言う。
比喩的な言葉遣いでは「分厚い本」のことを敷石と呼ぶ。
その「紐」をゆるめてごらん。そうすれば「敷石」は雲になる。
嘗て子どもたちの「物語作者」であった親が、いつのまにか、「会計係」になってしまわないように、
そのために子が自分のことをすっかり読書嫌いだと思いこんでしまわないように、
もし、そうなっていたとしても、読む喜びは「錬金術師の喜び」であるということを思い出すことができるように、
一章〜三章にかけて、様々な言葉や挿話で、ぺナック先生はわたしたちに語ってくれる。
錬金術という言葉。
そう、このあいだ読了したばかりの「ナタリヤといらいら男」のなかに「料理は錬金術」と言う言葉が出てきました。
なるほど。
料理と読書はよく似ている。ともに深い喜びを導きだすという点で。


そして、その三章ぶんを下敷にして、第四章の「読者の権利10カ条」がくる。
この10カ条、かなり曲者です。だって、十項目のうちの「一」は、「読まない権利」なんだもの。


読まない権利、という言葉に驚くのは、読書=善、と信じ切っているからかもしれません。
読書は善、と思うと、いつのまにか読書=道徳的義務、のように思わせられかねない。
それはとっても怖いことだと思いました。
逆に読むこと=悪、との決めつけもあるだろうし、
読書に限らず、
一つの行為を別の価値観へのすり替え(本来同等に並べられるはずのないものをイコールで結ぶことがおかしいと感じなくなってしまうこと)が
起こっていないかどうか立ち止まって考えてみなくては、意識的にも無意識的にも・・・
そんなことを思った。


でも、ぺナック先生は言われます。人は読書を拒絶する権利があるけれども、読書が人を拒絶することはまずない、と。
読まない権利を主張しながらも、相手には拒まれていないのだ、ということをいつもわたしたちはみんな知っています。
それはなんて幸せなことでしょう。


十項目と、それについての話を読むほどに心が自由になって来るのを感じます。
そして、本来、心を自由に解き放つはずの本を読むために、知らず知らずの内に、なんとたくさんの規制を自分に課していたことか、
または、いらぬ親切心から人の権利を奪っていたことか、と、初めて気がつくことも多いのです。


たとえば、幼い読者(読みなれない読者)が読みやすいように、
と古今の名作をあちこち省いて読みやすくした(つもりの)本が、どんなにつまらなくなっているか。
そういうことはよろしくない、と思っていましたが、なぜ、それがよろしくないのか、
またはまるっきりする必要がないのか・・・わかりました。
本が読者をなめているわけではないのに、こんなふうにいらぬ役割(?)を負わされてしまった本は気の毒ですね。
そして、そういう本につい手を出してしまう自分をいさめよう。
自由な読み飛ばし屋になったほうが数倍素敵、というか、いいんだ、読み飛ばしても。


また「手当たり次第に何でも読む」うちに良い本・悪い本をいつのまにかふるい分けることができるようになってくる、ということ。
「悪い本」とはどんな本か。ひとことだけ引用するなら「作者はそこにいないし、作者が書きたいと思う現実もそこにはない」そういう本。
(こんな本を書かねばならない事情がある作者も御気の毒です)ジャンルではないですね。


・・・ということがいっぱい書かれていたのでした。ユーモアたっぷりに。
本って、いったい何だろう、と改めて思います。
いや、あまりに漠然として・・・ううん、漠然としているから素敵なんだね。
きっとなんでもありなんだろう。どんな読み方も(読まないことも含めて)、どんな扱いも、よしよしと大きな心で許してくれる本。
そして、途方もない長い年月でも待っていてくれる本。ほんとうになんでもあり。
なんでもありだからといって、なんらかの目標や役割を負わせたら、とたんにつまらなくなるのが本、かもしれない。
だから、もうちょっと自由に、大胆に、でも繊細に、読んでみたい、と思います。
もっともっといろいろな方向からいろいろな面で本と仲良くなりたい。


そして、さりげなく、たくさんの本が実におもしろそうに紹介されているのがとても気になりました。
ボヴァリー夫人』、ぜひとも読みたい。


それから、あのお兄ちゃんの天才的な要約により、
☆ルイス・ブロムフィールド『雨季来る』
   要約引用「ある男の話さ。初めはウィスキーをたくさん飲んで、最後に水をたくさん飲むんだ!」
トルストイ戦争と平和
   要約引用「一人の娘がある男を愛しているのに、三人目の男と結婚する話さ」


・・・『戦争と平和』が、13歳(もしかしたら12歳)の作者の寄宿生活時代、三か月のあいだ寒さから守ってくれた、
なんて知ると、ぞくぞくするほど羨ましくなってしまう。
ああ、三か月ものあいだ、楽しみながら少しずつ少しずつ読み進める本・・・
そんなふうにして、長い時間をかけて大切に本を読むことがなぜ今、できなくなってしまったんだろう。
ああいう読み方はもしかしたら若者の特権なのだろうか。だったら、取り戻したい気がします、その特権を。


それから、ぺナック先生が教室で生徒たちに読み聞かせたあの、臭い臭い臭い・・・物語。すごく続きが気になります。
パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』覚えとかなくちゃ。