ナタリヤといらいら男

ナタリヤといらいら男ナタリヤといらいら男
マウゴジャタ・ムシェロヴィチ
田村和子 訳
未知谷


このシリーズ、ポズナニのイェジツェ町という一画を舞台にしていることから『イェジツェ物語』といわれているそうです。
日本では一部しか出ていないようですが、1998年当時で、すでに作者は12番目の物語を執筆中だったそうです。
(訳者あとがきによる)
翻訳されていない他の本も読みたいなあ。


これは、テンポのよい軽快な音楽が似合いそうな追いかけっこ物語でした。
今まで読んできたシリーズの三冊(『嘘つき娘』『クレスカ15歳 冬の終りに』『金曜日うまれの子』)のなかでは、
『嘘つき娘』に雰囲気が一番よく似ているような気がします。
あ、そういえば、ボレイコ姉妹の会話から、『嘘つき娘』のアニェラの近況を知り、嬉しかったです。
やっぱり女優になっていたんだね。
それから、『金曜日にうまれた子』のあの二人の老人が今やすてきな夫婦になっていることがうれしい。
そんな感じがしたものね。あ、やっぱり〜、と思った。
アウレリアも元気そうです。
直接、本のなかに登場しなくても、今まで出会った懐かしい人たちの近況をちらちらと知ることができるのは、シリーズものを読む楽しみです。


主人公ナタリヤ。一見優柔不断そうで、不器用そうで、でも、しんにあるしっかりしたがんこさは、とても魅力的。
今まで読んだこのシリーズの主人公の少女たち、だれもかれもみんな性格がちがう。
そして、だれもかれもみんな素敵にいきいきしていました。
どの主人公たちのなかにも少しずつ自分や自分のまわりのだれかに似た人がいる、と思う親近感。


何事もゆっくりなナタリヤと二人の姪の珍道中ですが、強烈なちびトラの破天荒さがおもしろい。
何をやってくれるか予想がつかない彼女、どんなふうに大きくなるんだろう。
その後の彼女を知りたいな。
もう一人の姪っこプジャの、損な役回りに対する嘆きもかわいい。
プィザとちびトラ姉妹の会話(というより口げんか)はあちこちにたびたび出てくるのですが、これがお気に入りなのです。
「失礼ですが、お姉さん(または、失礼ですが、親愛なる妹よ)、・・・・」
「失礼ですが、おだまり」
そして、いっしょにいるナタリアへの訴え「叔母さん、言ってやってよ」
となるのですが、母ガブリシャの教育の成果か、奇妙に礼儀正しい(?)口げんかがおかしくて楽しいです。


四姉妹の長女ガブリシャが、耳の大きな末息子をあやしながら「チョウチョウさん」と呼び、
暑い夜に「お耳さんで自分をあおいでごらん」という言葉など、ほほえましくて、好き。
そして、息子をゆすりながら彼の将来を思いながらの祈りの言葉が美しい。
   

ボレイコ姉妹、上の三人が、妹の帰りを待ちながらお料理する場面も好きです。
「料理には錬金術に通じるものがある」との言葉は名言だと思います。


コメディなのですが、ナタリヤのゆっくりな性格のためか、その逃避行は、突発的でありながら、のんびりとしています。
そして、味わい深い場面がいっぱい。
ことに夜の森のキャンプの場面は、独特の雰囲気があり美しいです。


1994年の夏です。
ポーランドのお国事情を知らなくても、この年の経済状態が良好とはとても言えないことはわかります。
日陰でも36度はあるという酷暑の夏(今年の日本の夏を思い出します)なのに、
扇風機もない、物がないから、いくらお金をはらっても買えない、という。
農家の庭先でしぼりたての牛乳をカップ一杯二万ズロチ、と言われたら、
ズロチがどういう単位か知らなくても、二万という数字は尋常ではないよね、と思います。(最初はほんとうに冗談かと思った)
このシリーズは、物語の中にさりげなく、決して楽ではない社会情勢を織り込んで見せてくれるのですが、
そんな背景をものともしない人々の逞しさや温かさが素晴らしくて、元気になるのです。
どんな時代でも人々は力いっぱい生きているし、幸せになろうとしているのだ、ということが素敵です。