美しい日本語の辞典

美しい日本語の辞典美しい日本語の辞典
小学館辞典編集部 編
小学館


きのう、ずっと行きたかった絵本屋さんに行きました。この日、わたしが買ったのは辞書です。
絵本のお店で辞書、というのも変なのですが、この辞書、普通の辞書ではありません。
『美しい日本語の辞書』といいます。
「後世に残したい日本語」「自然を友にして(雨・風・雲・雪・空の名まえ)」「擬音語・擬態語」に分かれています。
美しい日本語は、きどった日本語ではありません。でも、もしかしたら少しずつ使わなくなっているかもしれない言葉。
ほかにも言いようがあるから。
でも、こんな言葉も知っていたら、または、言葉にまつわるこんなことを知っていたら、
自分の乏しい言葉が少しうるおうのではないか、というような。
そして、意味だけでなく、その言葉の由来や、その言葉が使われている古今の文学作品の引用など・・・
読んでいるだけで楽しい。
たとえば、「あこぎ」という言葉が漢字で「阿漕」と書くこと、三重県津市に伝わる故事に由来することなど初めて知りました。



自然を表す言葉がこんなにたくさんあることも知りました。
意味以上に言葉の数に驚きます。
わたしたちの御先祖様たちがどれだけ自然に沿って暮らしてきたのか、
空を見上げ、風の音を聞きながら起き伏ししてきたか、仕事をしてきたのか・・・
項目だけを眺めながら、生まれ育った風土や脈々と続いてきた人の営みに自然思いはいくのです。



好きなのは擬音語・擬態語。
たとえば泣くようすをあらわす語を端から少しだけ。
「あーん」「うえーん」「うるうる」「えーんえーん」「おいおい」「おぎゃあおぎゃあ」・・・
もっともっといっぱい。
これらの語から、泣き顔や泣き声まで見えてきそうな、とてもよく聞く言葉たち。
誰もが真似して使いたくなるくらい的確な擬音語がこんなにもたくさん生まれているということなのですよね。
そして変わらずにずっと使われてきたのですよね。すごいなあ。



これは辞書ですが、読書しましょう、という気持ちで読みたい辞書です。
でも、辞書だから端から端までぴしっと読む本ではないのです。
辞書だけれど、楽しみに、好きなページをランダムに拾ってどんな楽しみも受け入れてくれます。
まるで隠れ家のように、あちこちにきらっと宝物を隠しています。
でもそっけないくらいに辞書辞書した(?)つくりだから、こんなにすてきな宝物が潜んでいるなんて気がつかないかもしれない。
しかもちっとも気取らない。
美しい言葉は気取った言葉ではなくて、日常のなかで老若男女、貧富身分(?)の差なく、
だれもが気軽に口にし、使ってきたことばでもあるのです。
でも、たちどまってみれば、年月とともに、その言葉だけが持つことのできた「思い出」を秘めた言葉でもあったのでした。
それをこの小さな辞書から知らせてもらっているのです。



そうだ、この辞書は、はじめていったあの絵本屋さんにとてもよく似ているような気がしたのでした。
(小人が本当に隠れていそうな、そして、良く見ないと見逃してしまいそうな宝物(かなり見逃しているにちがいない)が隠された棚、品ぞろえ・・・とってもさりげなさそうなのに。)



きのう買ったばかりの本ですから、まだまだ・・・実はほとんど読んでいないに等しいのですが、
これから、手許に置いて、ずっと楽しみたいと思います。
何度も何度も手に取る辞書、ずっと使う辞書だから、そのうちぼろぼろになるかもしれません。
ぼろぼろになってもそのぼろぼろ加減が似合うにちがいない、いかにも辞書らしい頑丈そうな作りも気に入っています。(ハンディなのにね)
そういえば、辞書や事典は引くより「読む」ほうが、昔は好きだったなあ、と思いだします。
そして、辞書、読んでいないわあ、学生じゃなくなってから、ということも思い出しています。