イングリッシュローズの庭で

イングリッシュローズの庭でイングリッシュローズの庭で
ミシェル・マゴリアン
小山尚子 訳
徳間書店


第二次大戦下のイギリス。
島国であり、物資が不足し、食糧難もあり、徴兵制もあった。身近な人たちが戦死したり捕虜にされたり。
でも、この余裕。戦勝国と敗戦国の差だろうか。日本とは、あまりに違うように思いました。
乏しい暮らし、とはいえ、
我慢を強いられている、とはいえ、
人々の気持ちのゆとりは、同じ時代の日本とは比べようがありませんでした。
この爽やかさ・・・こののどかさ・・・この芳しさ・・・人も自然も空気も。海辺の村の美しさ。


主人公は、17歳の少女ローズ。
父は戦死。
女優である母は戦地を慰問するため、美しく内気な姉ダイアナと二人だけで、海辺のコテージに疎開して、暮らすことになります。
窮屈な寄宿学校から解き放たれたローズは、姉と協力しあいながら、試行錯誤し、思い切り自由を満喫します。
今までは、いつも姉と比べられて惨めな思いをしてきたローズでしたが、
この自由な暮らしのなか、村の素朴で親切な人々の助けを借りながら、
少しずつ自分に自信を持つことができるようになっていきます。
同時に、少女から大人の女性として、花ひらくとき。
世間知らずの彼女が試行錯誤(というにはあまりにも危っかしくて、もう・・・)の内に、
本当の愛を見つけていく物語でもあります。


ローズが本当の恋愛を知らなかったり、勘違いしてしまったのは、若さや経験のなさはもちろんですが、
それ以上に、自分自身へのコンプレックス、自信のなさによるものでしょう。
自分を肯定できないローズに、自分を大切にできるわけがないし、
誰かを本当に愛することもできなかったのだろう、と思います。
このコテージでのローズの夏は、自分自身を受け入れ、自分を好きになるためのレッスンでもあったのではないかな。


さて、ある日、ローズは、このコテージに以前住んでいた『狂女』ミス・ヒルダの秘密の手紙から、彼女の日記を見つけます。
こっそり読み続けるローズ。
第一次大戦のときに、青春期を過ごしたミス・ヒルダ。
家族の頑迷さ・その階級ならではの女性の地位・人々の偏見などのために、大切なものは何もかも取り上げられ、
狂女と呼ばれながら生きたミス・ヒルダの手記は、あまりに痛々しく、腹が立って仕方がなかった。
・・・そういうことがまかり通った時代だったのでしょうか。
だけど、薄幸としかいいようのない、惨めとしかいいようのない人生のはずなのに、
ミス・ヒルダの、内面から発光するような明るい輝き、明るいユーモアには、驚いてしまう。
なんという魅力的で、機智に富んだ女性・・・
ローズといっしょに彼女の日記を読みながら、ミス・ヒルダが最早この世にいないことが残念でたまらない。
ほんとうに彼女がいたら、ローズにとって、どんなにすばらしい友になったことだろうに。


そして、ローズの時代は、第二次大戦下。時代は流れても、人の意識は変わらず。
未婚の母になるドットと、ローズは友達になります。ミス・ヒルダの日記の助けを借りて。
偏見を捨ててドットを受け入れることができたのは、ミス・ヒルダの日記のおかげでした。
労働者階級のドットですが、
根強い偏見と迫害に近い扱いの中で、彼女の前向きで勇気ある人生は、ミス・ヒルダの人生の取り返しのよう。
ドットは、ミス・ヒルダが果たせなかった夢の道を一歩一歩勇敢に歩いています。
ドットこそあの指輪に相応しい人。作者はなんて素敵な計らいをしてくれたのだろう。
ドットにはどうしても幸せになってもらいたい。子どもと一緒に。ミス・ヒルダのぶんまで。


そして、ローズはやがて本物の愛に目覚めていく。
それは、自分自身のかけがえのなさに気がついていく過程でもあります。
その愛に深みと厚みを与えるのが、ドットとミス・ヒルダの存在。
ローズが「女でよかった」とつぶやくところでは、胸が熱くなるのでした。


でも、戦争は続いている。
どうか、ローズもダイアナも、ドットも、
そして、彼女たちの愛する人たちも、この小さな村の愛すべき人たちも無事で・・・無事で・・・と願わずにはいられませんでした。