ガッチャ

ガッチャ!ガッチャ!
ジョーダン・ソーネンブリック
池内恵 訳
主婦の友社


飲酒運転で隣の花壇を壊して逮捕された高校生のアレックスは、罰として、老人ホームで100日間のボランティアを命じられる。
そして、定期的に判事に報告書を書く。
アレックスが担当することになった老人ソルは、肺気腫を患った老人。
意地悪な気難し屋で、これまで何人ものボランティアが、彼のために辞めている、という筋がね入りのつわもの。
他人が自分のせいで困っているのをみて
「ガッチャ!」(「やった!」という意味のイディッシュ語だそうです)とにんまりするようなへそ曲がり。
アレックスはアレックスで、お気楽な性格。
自分のしでかした罪の重さや責任がまるっきりわかっていない。
むしろ外出禁止や手に負えないボランティアを、しょい込んだ不運だと平気で訴えるような無責任男なのだ。


絶対うまくいくわけがない老人と青年が、心を通わせていく物語です。
まるで違う星の生物みたいな二人が、心通わせるきっかけになる共通言語(?)は音楽でした。
この発見から、物語は進展します。


老人は死にます。
それは、物語の始まりにいきなり予告(?)される。
死の瀬戸際に付き添うアレックスの独白が最初のページに置かれている。
そして、物語は過去、二人が出会う前に戻るのです。


短い時間。この短い時間に何があったのか。
二人とも小憎たらしいのです。口八丁で。
でも、その口八丁のおしゃべりが、おもしろくておもしろくて。くすくす笑ってしまう。
笑ってばかりいて油断していると、ドキッとする場面に突然出くわしたりして、はっとするのです。
最初のコンサートのあとの
「おまえたち若者は、六十をすぎた人間がかつてなにかをしていたとは、決して考えない」という言葉には、どきっとしました。
そうなのです。わたしたちもまた年をとったときに、若い日の姿を誰も想像さえすることはないかもしれないのです。
それはどんなにさびしいことだろう。
若い、ということは・・・
老いた人の前で自分が若い、と感じることは、それだけで傲慢なのだ、という気持ちにさえなりました。


償う、ということの意味(形ではなくて、本当は一体何に対して)。
両親のこと。親子のこと。大切な友達や好きな人のこと。
アレックスとソルの友情(60歳離れていても友情は生まれるんだ)を中心に、いろいろなことが、以下の言葉にむかっていく。

>ぼくたちはみんな自由だ。少なくとも、たったひとつのたいせつな意味においては。愛する人を選び、そして実際に愛するという意味で、僕たちはみんな自由なのだ。
笑ったり、ほろりとしたり、を繰り返しつつ、物語は山場を迎えます。
それは、着地点は当然ここでしょ、と予想していた場所とは微妙に違っていました。びっくり。そして爽やか。
ええ、そうです。ソルは死にました。だって、最初からそれはわかっていたのだもの。でもほんとうに爽やかなんですよ。
亡くなったあとのことも・・・。
私もまた年をとるなら、そしてやがて死ぬのなら、自分が死んだあとにこんな素敵な爽やかさが残ったらいいなあ、と思う。
そんな生き方をしたいな、と思ったのでした。